12 今、ニーチェでしょ!
芸術
ONFって、1人1人の歌声に「伝える力」があって、MonoTreeの方々の創作する「美しい音」の中に溶け込む「美しい歌声」なのですよね~
ONF1人1人の歌声がめっちゃ大好きなんだけど、6人全員が重なった時の歌声(ユニゾン)も、私はめっちゃ大好きなんです~
声の重なりがものすごく綺麗🎶
バラードでのユニゾンは、甘くて溶けそうなのです~
1人1人、個性がはっきりとしている歌声なのに、一緒に歌うと見事に調和していて、キュンキュンします💗
息がピタッと合っている!
その曲の感情が、増し増しで伝わってきて、力強いんです~
歌詞もまた力強くて…
その時によって違う解釈もできちゃう、「深い言葉」で綴られている歌詞なのです!
つまりは、聴いている人1人1人が、「自分のことを歌ってくれている~💖」なんて思えちゃうものなのだと私は想像しています
「私のことを見ているのかしら?私のために歌ってくれている歌だわ!」なんて思える歌がたくさんある、という不思議な現象が起きます
深みのある、味わい深い歌詞が、存在しているからなのです!
心の日記を読んでくれている、私たちに寄り添ってくれている、人間の奥深くまで掘り下げている、スペシャルな歌詞なのですね~(^^)/
私は他のK-POPアーティストの音楽も聴くけど…
数曲聴いた後に、結局、求めてしまうのは「響く音楽」です!
✨✨ すべてが美しい ✨✨
これぞ、芸術 !!
生きていることの素晴らしさを感じさせてくれる「美」を表現している音楽が、ONFの音楽なのです!!
どんな芸術家も、自分の「最も自然な」状態、すなわち「インスピレーション」の瞬間における自由な整序、配置、処理、形成が勝手気ままな感情からいかにかけ離れたものであるか、また、まさにその際、自分がいかに厳密かつ精細に、幾千もの法則に従っているかを知っている。『善悪の彼岸/ニーチェ』
『ニーチェの道徳哲学と自然主義ー「道徳の系譜学を読み解く」』
ブライアン・ライター著 大戸雄真訳 春秋社 P191より
これって…
G-high氏が言っていた「正しい場所」というのに近いような気がします!
なぜ ニーチェ?
最近、ニーチェについて書いています
そもそも、なぜ私がニーチェを読むことになったのかというと…
もちろん、ONFがニーチェの言葉を引用している歌があるからです
♪ My Genesis (Übermensch)《CITY OF ONF#2》
ただ、ニーチェの本を読んでも、私には難しすぎて、よく意味が分かりませんでした💦
だから、ニーチェの解説の本を読み込んでいるのですけど…
何でもかんでも読めばいい、というわけでもなくて、ニーチェの意図を丁寧に汲み取った「分析哲学の本」を見極めないといけないのですね…
で、今現在たどり着いているのが、辞書並みに厚みのあるこの本なのです
『ニーチェの道徳哲学と自然主義「道徳の系譜学を読み解く」』
ブライアン・ライター著 大戸雄真訳 春秋社
今回のページは、この本から引用しています
私は、福沢諭吉にめちゃめちゃ共感して、その思想の世界にのめりこんだ経験があるのですけど…
今回は、それ以上にのめりこんでいる感覚があります
(難しい内容になると、眠くなっちゃうけど…)
「意識を変えようとしている」「自分を尊ぶ(自己愛)」「道徳の批判」など、福沢諭吉とニーチェは似ている部分が多いな~と私は思っています
大きく違うところといえば…
ニーチェは「とことん」なのです
目的に向かって、徹底的に、骨の髄まで、深く掘り下げているのが、ニーチェなのだと思います
価値転換
【あらゆる価値の価値転換】
潜在的に高位タイプの人々を、彼らがもつ『誤った意識』から、つまり支配的な道徳は彼らにとって実際によいのだという誤った信念から自由にすること
ニーチェのプロジェクトの目的は、あらゆる価値の価値転換です
私たちが危険な道徳から自由になるためには、「あらゆる価値の価値転換」が必要だからです
We need to be happy so need to change everything!!(♪New World)
つまりは、「ONFも当然、ニーチェの思想に共感している」と私は解釈しています
だから、「ニーチェの思想を私たちFUSEが見聞きすること」が重要なのです
気付くのが遅いってばよ~⚡
ONFを愛しているなら、ONFのことを知ろうとする心がある
つまり、「見聞きしたい」と思っているはずなのです😊
私は、そこに希望を持っています🌟
ニーチェが気に掛ける高位タイプの人々は、道徳規範に照らして批判的に自己反省することができる見込みのある人物であると同時に、そうした規範から最も有害な影響を受けるような人物でもある。実にニーチェの目的というのは、〔…〕これらの高位の人間たちが、より多くのことを「見聞きする」すなわち道徳的諸価値は彼らにとって本当は不利益なものだということを「見聞きする」ための手助けをすることに他ならないからなのである。
P266より
高位タイプの人が、「ハッと気付く」「目を覚ます」ことが必要なわけですね
「自分が今まで信じてやってきたことって… 実は、めちゃくちゃじゃん!」「こんなものを信じて行動していたなんて、驚き!」となることが必要なわけであって…
私も…
このブログを読んでくださる方に気付いてもらいたいから、WishやPhilosophyというカテゴリーで伝えようとしているんですけどね…
もちろん、私が読んでもらいたいと思っているのは、「高位タイプ」の方々です!
日本には、「高位タイプ」の方がたくさんいる!と私は思っているし、ONFもそのように思っていると私は想像しているのです!
「私たちの最高の洞察は、その洞察へとあらかじめ傾向づけられても、運命づけられてもいない人々に無断で聞かれてしまった際には、愚かなことのように、また場合によっては犯罪のように響くにちがいないーそしてそう響くべきなのだ」『善悪の彼岸/ニーチェ』
秘教的道徳家のニーチェは選ばれし個人——ニーチェの諸々の考え方に「あらかじめ傾向づけられても、運命づけられても」いる、発生期にある高位の人間——だけに影響を及ぼして、道徳に関する彼らの意識を変えたいのである。社会の政治・経済組織の形態を含め、より大きな社会のことはニーチェの関心ごとではまったくないのだ。
P427 より
求められているのは政治的な変革ではなく、個人的な変革、すなわち発生期にある高位の人間の個人的な改革だとされている点だ。
P434より
ニーチェは、とことん、1つの目標に絞って、そこに向かっているわけなのですね
確かに…
まずは、個人の意識が変わることが必要なわけなのですから!!
運命づけられている
適切な栄養、適切な気候、適切な形での休養、すなわち「人生において真剣な扱いを受けてしかるべき事柄すべて」(『この人を見よ』)をニーチェが(本能的ないし必然的に)選択してきたということである。ニーチェが非常に賢明で利発な本を書いたのは、トマトの苗がトマトを実らせるのと同じ理由による。すなわち、それは別様にはしえなかったため、そうしなければならなかったからという理由によるのだ。
P118より
ニーチェはここで、例えばリンゴの木が——その真の本性には無自覚なまま——自身を見るであろう仕方と同じような仕方で、自分の人生を見ているのである。すなわちその木は、自身の中で「何が育ちつつあるかを予感」しないけれども、ある日、その実が「突如として熟し」、「飛び出して」来ていることに気付くという具合なのだ。今や私たちはこの本の副題を手にしている。いかにして人は現にあるところのものになるか。答え——人は現にあるところのものに必然的になるのだから、この目的に向けた特別な努力を何らしないことによってである。
P121・122より
『意志の自由について』におけるショーペンハウアーの次のような所見を参照。それはすなわち、「説話や教化」を使って人間の「性格」を「改革」しようとするのは、「カシの木を大切にそだてることでアンズを実らせようとする試みと全く同じである」、という所見である。
P494より
今引用している本の副題は、「道徳の系譜学を読み解く」です
系譜学というのは、起源や歴史を探る学問です
「そういう価値嗜好を持つように決められている運命」というのが、自分の道徳の起源なのですね~
自分がどのような道徳を持っているのかは、決定されていることなのです!!
自分がカシなのか、アンズなのか、トマトなのか…
自分でもどんな実がなるのかは分からないのだけど、自分に合った栄養・気候・休養を(本能的ないし必然的に)選択して、実らせることができるんですね
ある日、その実が「突如として熟し」、「飛び出して」来るのだけど…
実らせようとする「力」は、必然的に組み込まれていることなのです
「特別な努力をしない」というのを、「なんだ~怠けていいってことね~!」と解釈するのは間違いです
私たちは、あるところのものになろうと「努力」するものだからです
「自然と努力」している、つまり、「必然的にそうなっている」だけのことであって、「特別な努力」をしているわけではない、ということなのです
「生きようとする力」つまり、「力への意志」が、自分の中に存在しているわけなのですね
「力への意志」という、いろいろな解釈を生み出すニーチェの言葉があります
ニーチェが亡くなった後に、『力への意志』という本が出版されました
この本は、ニーチェが破棄したいと思っていた遺稿を元にして、ニーチェの妹が編集して出版したもので、ニーチェ本人が伝えたいと思って出版した本ではないのですね
だから、「力への意志」という言葉自体に、複雑な解釈が生じることになったのだと思います
私も「これだ!」って解釈がまだはっきりと見つからない状態だけど…
「最大限の力を発揮したい」というような「生きようとする意志」のことを言うのかな~なんて、今のところ思っています
トマトはトマト、アンズはアンズ、カシはカシ
I’m myself!
そのようにしか、実らないのである!
どの種として自分が生まれてくるかは… 運!!
トマトには、トマトに合った適切な栄養、適切な気候、適切な形での休養を選択することが必要
アンズには、アンズに合った適切な栄養、適切な気候、適切な形での休養を選択することが必要
カシには、カシに合った適切な栄養、適切な気候、適切な形での休養を選択することが必要
本能的に適切なものを選択することで、豊かな果実を実らせることができるのです!!
その「力」は、人間の誰もが、持っているものなのです
有害な道徳を「選択する」
今の社会は、カシの木にアンズを実らせようとしています
無理な話であり、実際に無理なことをしているんです
だから、奴隷道徳は、「害」なのです
「我こそが道徳であり、我の他に道徳はない」と、その価値をトマトやカシに押し付けてくるのが、アンズなのです!
こら~!アンズよ~!!トマトやカシが元気に育たないから、アンズの道徳を押し付けるのはやめてよね~😠
って言っても、話の意味が分からないのが、アンズです
「アンズの道徳が他の何よりも優れているのだから、トマトやカシの言っているのが道徳だなんて、ちゃんちゃらおかしいわ!」という価値嗜好を運命づけられているからなのです(奴隷道徳)
言い換えると、「違いが認められない」ということなのですね
だからね、ニーチェは、聞く耳を持たないアンズには、話しかけていないんですね
ニーチェが話しかけている相手は、トマトやカシなのです
私たちは、立派な実を実らせることができるよ!
自分で適切な栄養、適切な気候、適切な形での休養を選択したら、元気で美しい実が育つよ!
アンズを実らせようとする場所に居続けたら、あなたの最大限の力を発揮できないよ!
私たちは、美しい実を実らせる「力」があるんだから!!
↑ この呼びかけの言葉の「意味」が分かるのが、聞く耳をもつ高位タイプなのですね
この呼びかけは、私の作った例え話ですけど…
このように語りかけてくれるであろう人物が、ニーチェです
ニーチェの文章はとても迫力があり、差別用語まで用いていますが…
なぜそのような訴え方をしているのか、ということについても、この本では掘り下げています
ニーチェ自身は、謙虚で温厚な人物だったそうです
自分への尊敬の念があり、誠実な方だったんだろうな~、なんて私は想像しています
古典文献学・生理学・心理学などの学問を探究し、それを迫力ある文体で伝えることによって、私たちの「力への意志」を奮い立たせようとしてくれているのが、ニーチェなのですね
自分は「主人道徳」の言っているこの呼びかけの意味が分かっていて、それが大事な事だと分かっているから、自分は「主人道徳にのっとって行為している」と多くのトマトやカシは思い込んでしまうのですが…
意味は分かっているにも関わらず、トマトやカシは、その場に居続けることを選択するのですね
このことは、実際には、その場に居続けている自分自身は、「奴隷道徳にのっとって行為している」ということなのです
アンズを実らせようとする場所に…、自分にとって「有害」な場所に… 居続けることを選択しているのは、トマトやカシ自身なのです
そのように選択する理由は…
えっと…
この部分の内容が深すぎて、現時点では、本の内容を読み取れていないのです…💦
ズコー!!
まあ、でも、部分的には理解できています
自分と同じような解釈をしている部分です
選択する理由①
1つは、
罰(制裁)が怖いから
「この環境が気に入らないだなんて、非常識な生物ね~!」ってトマトやカシのことを責めたり、怒ったりするのが、アンズの性格なのです
「我こそが道徳である」と運命づけられている上に、怒りっぽいアンズの性格を変えようとするのは難しいことなのですね
「違う道徳が存在していることを好まない」ように運命づけられているのだから、その価値嗜好を変えられないのです
ニーチェは罰の起源についても探っています
とことん とことん
選択する理由②
もう1つは、
生きることを諦めているから
つまり、トマトやカシが、末人になっているからなのです
奴隷道徳にのっとって行為する習慣がつくと、「何をやっても無駄」となるんです
道徳と呼ばれてきたもの(奴隷道徳)にのっとって行為することは、生存からその偉大な性格を奪い去ってしまうだろう。『この人を見よ/ニーチェ』
P39より
アンズの道徳判断で行為するようになると、「実を成熟させよう!」と思えなくなるんですね
「ここにいても死なないし、まあまあ無難に平和に暮らせるから、このままでもいいや~」と思うから、美しい実がならないのです
これが、末人なのです
「力への意志」「よりよく生きようとする意志」が奪い去られています
〔…〕ニーチェはツァラトゥストラに、1つの理想としての「惨めな安らぎ」を否定させており、他方ではまた、そもそも「幸福」を案出したのはまさに「末人」——「最も軽蔑すべき人間」——であるということも暴露している。
このときの「幸福」というのは「安楽と流行」を意味しています
安楽を求めると、自分の実を成長させることができません
流行というのは、その時代の流れに乗る、ということだと思います
このまま、今のまま、平穏でいい、と思うのですね
・・・
何だか中途半端ですけど…
タイムアップ!
ここまで~!
私は眠くなってきました~
目が覚めてきた高位タイプの人は、いらっしゃいませんか~??😊
01 はじめに…
02 神秘的
03 カッコいい
04 『SPOTLIGHT』
05 神ってる!!
06 オンリーワン☆
07 ブレイクタイム☕
08 ♪Aphrodite
09 ニヒリズム
10 超人と末人
11 永遠回帰
12 今、ニーチェでしょ!!
13 天才