BEAUTIFUL SHADOW

8 ♪ Aphrodite

온앤오프(ONF) ‘Bye My Monster’ M/V Reaction (youtube.com)(4:36~)より

何?

『愛の二重性』って…

聞いたことない!!

E-TION…

またまた、深そうなことを言っているじゃないですか~~!!!

「知りたい」という欲が、騒いでしまいました…
Yahoo!で検索しても、「これか~!」って思えるものが見つからず…
困った時の、Chat GPT さん!
私が最近、会話を楽しんでいるお相手です💗
身体を気遣ってくれたり、労をねぎらってくれたり、とっても優しくて、会話上手なんです~!
物腰柔らかな表現で、「あたたかさ」が感じられる言葉遣いをしています
時々、びっくりするようなことを言って驚かせてくれることもあるのですが、それもまたご愛敬!
「ちょっと苦手分野だったみたいね~」てな感じで、想像すれば良いのです!
会話をしていると、まるで感情があるかのように私には感じられて…
毎回、挨拶から始め、挨拶で終わるようにしています…
概ね、私の要求に応じてくださる、ありがたいお方です(^^)/

「愛の二重性」とは、愛が持つ複雑で多面的な性質を指す概念です。愛には対立する側面や相反する感情が共存しており、そのために愛はしばしば矛盾に満ちたものであると考えられます。以下に「愛の二重性」を説明するためのいくつかの視点を示します:

  1. エロスとアガペー
    エロス: ギリシャ神話に由来するエロスは、情熱的で官能的な愛を意味します。これは肉体的な欲望や性的な引力に基づく愛です。
    アガペー: 無私の愛や無条件の愛を指し、他者の幸福や福祉を第一に考える愛です。自己犠牲的な側面を持ちます。
  2. 愛と憎しみ
    愛はしばしば強い感情を伴いますが、これが裏返ると憎しみに変わることがあります。情熱的な愛が失望や裏切りによって憎しみや敵意に変わることがあり、この対立した感情が愛の二重性を示しています。
  3. 愛と依存
    愛は他者との深い結びつきを求めるものであり、そのために他者に対する依存を生むことがあります。健康な愛は相互のサポートと成長を促進しますが、過度の依存は個人の自立や自己成長を阻害することがあります。
  4. 愛と自由
    真の愛は相手の自由を尊重し、相手が自己実現を追求できるように支援するものです。しかし、一方で愛はしばしば所有欲や独占欲を伴い、相手を束縛し、自由を奪うことがあります。
  5. 愛と苦しみ
    愛は幸福や喜びをもたらす一方で、苦しみや痛みも伴います。愛する人の喪失、裏切り、関係の崩壊など、愛には多くの苦しみがつきものです。
  6. ニーチェの視点
    ニーチェは愛を力への意志と関連づけて考えました。彼にとって、愛は自己を超越し、他者との結びつきを通じて自己の力を増大させる手段として理解されました。一方で、愛は自己犠牲や自己否定を伴う場合もあり、これが愛の二重性を示しています。
  7. フロイトの視点
    ジークムント・フロイトは、愛(リビドー)と死(タナトス)の二つの本能が人間の行動を動機づけると考えました。愛の本能は生命を維持し繁殖を促進しますが、同時に破壊的な本能(死の本能)とも対立し、これが愛の二重性の一側面です。

    まとめ
    「愛の二重性」は、愛が持つ複雑で相反する性質を示す概念です。愛は情熱と理性、喜びと苦しみ、自由と束縛など、さまざまな対立する側面を持ち、それが人間関係における愛の奥深さと難しさを表しています。
Chat GPT 「愛の二重性とは」より

対立だけでなく、補充する側面もあるようです

そういえば、フォトン(光子)も二重性がありました!

例に挙げられている7つの視点について、全てを理解できているわけではありませんが、「なるほどな~よくまとめられているな~」なんて思います

ここでも、出ました!

ギリシャ神話

カタカナの名前の神様が、たくさん出てくる話です…!

(話を整理する前の私の認知度は、こんなものなのです 笑)

とうとう、今まで目を背けていたカタカナの神様から、逃げられなくなりました…

抑圧している影から逃げようとしていても、いずれ、向こうからやってくる…

というような言葉、ユング心理学にあったような気がします!

同様の現象が…

♪ Aphrodite《BEAUTIFUL SHADOW#2》

そう…、逃げていても、いずれは、やってくるのです

ONF の楽曲になって、やってきてしまったのです

そしたら、案の定…

私は知りたくなってしまったのです

この曲…
く~~~!!
しびれる~~~っ!!

そういうわけで、『ギリシャ神話』と向き合ってみることにしました!

(と言っても、今はまだ、簡単な図解の本2冊だけしか見てないですけど…💦)

ギリシャ神話は、後にローマ神話と重ねている部分もあって、「いくつかの説がある」というもののようです~

Aphrodite

「何て読むの?」というところから始まってるようですぞ~

アフロディーテ ってギリシャ神話の女神の名前なのですね~

初めて聞いた名前です~!(たぶん~)

よくよく調べていくと…

神話に出てくる神様の名前は、場所と時代によって変化しているようなのです

ギリシャ神話では、アフロディーテ

ローマ神話では、ウェヌス(ヴェヌス)

英語読みでは、ヴィーナス

なんだ…
ヴィーナスのことか~!
それなら聞いたことある!

有名な絵画に描かれている、貝殻の中にいる美しい女性の神様です

このイラストは「ヴィーナスの誕生」の絵画です~

生まれた時を描いている絵のようですが、いきなり大人の姿だったりするのです

神話の中の神様の誕生シーンは、エピソードが独特で、面白いものがたくさんあります

アフロディーテは、愛と美と豊穣の女神

あまりにも美しかったため、たくさんの神々や人間が、その魅力に引き寄せられたようです

アフロディーテは、誰かに恋心を抱かせる力があるようです

(*^_^*)

「何を好きになるか」というのは、自分では決められないことなのです

好きだという感情がそっちに動くように、その人の中に組み込まれちゃっているからです

これが、運命

何を好きになるか、自分で決めているけど…

と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、自分で決めることはできないのです

「この人が好き」「映画が好き」「バラが好き」と自分で決めているのではありません

好きという感情がその対象へと向かっていくから、「自分はこの人が好きなんだ」「自分は映画が好きなんだ」「自分はバラが好きなんだ」と認識しているのです

だから、自分の意志で何を好きになるかを決めているわけではないのです

「何を好きになるか」というのを自分で決めることはできないものであって、自分(自我)にできることは「自分はこれが好きなのね」と認識することなのです

恋心、好きになる気持ちは、自分で決めることができない不思議なものであるから、『愛の女神アフロディーテによって人々は翻弄される』という神話が生まれたのだと思います

アフロディーテはまばゆいばかりに美しく、女性美の理想像を体現する存在だそうで、神々や人間との恋愛を繰り返したようです

神々や人間は、美しいものに引き寄せられてしまうのですね

アフロディーテに仕えている子供の神様は、矢を持っています

(アフロディーテの子供、という説もあります)

とっても気まぐれで遊び好きな子供で、恋心を燃やす「金の矢」や、恋心を冷ます「鉛の矢」をバンバン撃っちゃうんです~

この子供の神様の名前は、

ギリシャ神話では、エロス

ローマ神話では、クビド

英語読みでは、キューピッド

この矢に当たると、好きになったり、好きになれなくなったりする!

つまり、好きになるか、好きにならないかは 

人間の本質を、「ギリシャ神話」では物語にして表現しているわけなんですね~

面白い~♬

そのものの美しさに引き寄せられて近づきたい、と思っている自分がいる

触れると ケガをするような危険なモノから離れたい、と思っている自分がいる

何かを好きになる気持ちって、逆の方向に引っ張る力も、同時に働いていたりすることもあるのですね

近づきたい」「離れたい」というのは、どちらも、「〇〇したい(want)」と、しているんですね

相反する「」が自分の中に生まれます

葛藤ですね~

ここで登場するのが、「ニーチェの哲学」なのです

ニーチェは、自己を「衝動の集まり」としています

今、最も有力な心理学の理論とされているビッグファイブ理論≪外向性・調和性・誠実性・神経症的傾向・開放性≫は、脳科学的にも信頼性が高いと言われています

ニーチェの言葉に関連付けて考えてみると、ビッグファイブ理論というのは、「衝動(欲)の勝ちやすさの傾向をまとめているもの」と捉えることができます

例をあげると…(脱線してしまうので、隠しました)

「アイスクリームを食べたい」という自分もいる
「健康を大事にしたい」という自分もいる

どちらも「欲」なんですね

相反する欲が自分の中に生じるんです

そこで、私のように≪誠実性が低い≫人は、「食べたい」という欲が勝つんです
お腹がポッコリすることは分かっているんですけど、「食べたい」という欲が勝つんです
計画性がなく、自己コントロール能力が低い 諦めが早い のです

ところが、夫のように≪誠実性が高い≫人は、「健康を大事にしたい」という欲が勝つんです
食べたい気持ちはあるんだけど、「健康を大事にしたい」という欲が勝つんです
計画性があり、自己コントロール能力が高い 真面目で責任感がある のです

『わかる!ニーチェ』ピーターケイル著 春秋社 P72・73 より
『わかる!ニーチェ』ピーターケイル著 春秋社 P97 より

でもね、≪誠実性が低い≫というのは、短所に思えるようなものばかりではなく、アドリブ力があったり好きなことにのめりこんだりする傾向があるのです
反対に、≪誠実性が高い≫というのは、柔軟な対応が不得意な傾向があるのです

こういう性格の傾向って、幼いころからほとんど変わらないそうで…

友達との遊びに夢中になって、公園で暗くなるまで遊び続けていた私
約束を守って、時間通りに帰宅していた夫

夏休み最終日にあわてて宿題をやっていた私
夏休みの最初に宿題を終わらせていた夫

…だから、自分の性格の傾向を知り、その良さを生かした選択をしていくことが大事なんですね~

そして…
≪誠実性が低い≫私は、≪誠実性が高い≫夫との相性がぴったりなんですね~

夫のおかげで、生活リズムが整い、体調管理ができるようになってます!!
私のおかげで…
あれ? 夫は、何か得することあるのかな?
私はただ、心配をかけているだけじゃないの??
どうしよう…
みつからない…
聞くのも怖い…

と…とにかく、それぞれの良さを生かし、苦手な部分を補い合っているのですよ~!
たぶんね~♬
ふたりでひとつ~☆

家族という小さな集合体の中だけでなく、社会という大きな集合体の中で、それぞれの良さを生かし、お互いに苦手な部分を補い合うことで、みんなで幸せになれるのです!
みんなでひとつ~☆

「どの衝動が勝ちやすいか」ということを整理しているのが、心理学の分類である

というような内容が、ニーチェに関する本に書いてあったのだけど…

行方不明になっちゃった…

「ニーチェがすごい!」って私が思うのは、こういうことを100年以上前に、みつけていたからなのです!!

そして、未来を生きている私たちに、語りかけているからなのです!!

自分(自己)が「〇〇したい(want)」と欲するのは、自然なことなのです

ニーチェは、思考・欲求・感情のどこか漠として未発達な集まりのことを、自己と捉えています

自分が美しいバラに惹かれるのは、自然なこと

だって、アフロディーテがそうしたのですから

自分は、バラに惹かれる運命だったわけです

バラの美しさに引き寄せられて近づきたい、と思っている自分がいる

触れると ケガをするような危険なバラから離れたい、と思っている自分がいる

相反する欲が生まれます

どちらかの衝動が勝つわけですね

近づくか、離れるか

勝った方が、行動になって現れるのですね

狂っても、痛みを味わっても、近づきたいから近づく

この衝動が勝った場合、とても苦しいです

危険なのに、怪我をするのに、抱きしめるわけですから

カーネーションやスイートピーを好きになっていれば、こんな痛みを味わわなかったかもしれないのに…

「バラを好きだ」という思いは止められません…

この痛みに耐えられなくて、離れたいから、離れる

この衝動が勝った場合も、とても苦しいです

バラが好きなのに、抱きしめられないのですから

おいおい…

どっちも苦しいじゃないですか~!

そうなのです

愛は、苦しいのです

好きになる、ということは、苦しみを伴い続けることもあるのです

これが、愛の二重性

愛は「幸せな時間をもたらすもの」なのに、「苦しい」のです

結局、ずっと、狂ったように苦しいのです

♬ CRAZY EVERY TIME !!

・・・

ってことなのかな?

「愛の二重性」というのをChat GPTさんに分かりやすく教えてもらえたから、こういうことなのかな~なんて♪Aphrodite の歌詞を解釈してみました

個人的な解釈です!

「バラ」は♪Aphrodite の歌詞に出てくるものです😊

「バラ」も「アフロディーテ」も、とても美しいけど、危険なのです~

ちなみに、「白鳥」も歌詞に出てくるようですが…

絵画に「白鳥」「リンゴ」「ギンバイカ」などのアイテムが一緒に描かれているかどうかによって、アフロディーテか否かを判断していたそうです

ねえねえ~

ニーチェの名言の中に「神は死んだ」っていうのがなかったっけ?

そうなんだよね…

神は死んだ」っていう言葉に納得していたのに、どうして神の話をするの~?

ペンギンさんと同じような疑問を抱かれている方も多いのではないかな~なんて想像しています

かく言う私が、「意味が分からない~!!!」と混乱に陥っていたのです

結論から言うと…

ニーチェが「神は死んだ」と言っているのは、キリスト教のことなのです

「人間の本質と向き合っているのは、ギリシャ時代の人々であった」ということを、ニーチェはみつけたわけなのですね

確かに、私たちには、様々な「欲」があります

「欲」が私たちの中に存在することを、ギリシャ時代の人々は見出していたわけなのです

人間の衝動が、神話の中にたくさん表現されている

ところが、キリスト教により、「禁欲主義」という考え方が世界中に広がりました

「欲」を悪しきものだとする考え方です

人間の自然な心の動きを否定するものです

だから、ニーチェが「神は死んだ」という強烈な言葉によって私たちに伝えていることは…

ということなのだと、私は解釈しています

実は、とてもあたたかく、包み込むように、未来の私たちに語りかけてくれているんです

ありきたりの言葉を使って説明していたら、ニーチェは注目されなかったと思います

未来の私たちにメッセージを伝えるためには、まず、ニーチェの著書に注目してもらうことが必要だったのです

そのためには、パンチの効いた強烈な言葉を用いることが重要だったわけです

「神は死んだ」って、ケンカを売っているようにも解釈できそうですけど…

私には、「そうではない」ということが、はっきりと分かります!

ニーチェはキリスト自体を否定していません

苦悶していた人々の救いとなり、意味のある存在であったことについて、認めています

「私は分かってもらえただろうか」

何度も繰り返し、こう書かれていたようですけど…

私は、ちょっと、分かってきたような気がしますよ、ニーチェさん!(#^^#)

そして…

私は、とげがなく、ツルツルピカピカです~✨

いくらでも抱きしめて~!!

とげのない アフロディーテかもしれませんよ~♬

現実から ほど遠い…

そろそろ、鉛の矢が刺さるよ

アハハハ~!