9 ニヒリズム
意味が分からない
ギリシア人たちは「皮相的だった!深かったがゆえに!」
『愉しい学問』 ニーチェ
皮相的:表面・うわっつら・物事の本質に至らないこと(goo辞書より)
芸術と見かけ
ギリシャの芸術は非常に洗練され、美的に優れていました。しかし、その表面的な美しさの背後には、人生の悲劇や苦悩が存在していました。例えば、ギリシャの悲劇は美しい言葉や詩的な構造で描かれていますが、その内容は人間の苦悩や運命の不可避性を深く掘り下げています。つまり、美しさ(皮相的な側面)は、その背後にある深い真理や洞察(深さ)を隠しているのです。
Chat GPT ギリシャ人「深かったがゆえに皮相的」の意味の例
表面的な華やかさや明るさの背後には、深い真理や洞察(深さ)を隠しているという二重性があるのですね
例えば…
ギリシア人たちは生きることの恐ろしさを十分よく認識していましたが、それでもやはり人生を受け入れ続けました
これが、『悲劇』として表現されているんですね
「生きることはとことん悲惨」など、書いているものもあったりして…
あのさ~
意味が分からないんだけど~
私は ONF の音楽の芸術性に、「深いがゆえに皮相的である」という言葉が当てはまるように思うのです
何となく…、という直観ですけど…
ONF の芸術は非常に洗練され、美的に優れています
だから、悲劇や苦悩が存在しているのだと思います( Monster がいます!)
背後には、深い真理や洞察(深さ)が存在していることは、何となく、分かるのです
だから…
私なりに解釈してみました!(^^)/
読んでいると眠くなる内容かもしれないですけど…
私はこの解釈にたどり着いた時…
心が震え、全身から喜びが湧き上がって来て、あまりにも大きな感動で、涙がとめどなく流れたのです!!
子供の頃からずっと、何度も考えていたんだけど、「分からない!」「怖い!」と思っていたことなのですね
それが分かるようになったから、嬉しかったのです😊
『答え』がみつかったからです!
結論を言うと、「生きることは、恐ろしいことである」というものになります
私たちが真理にたどり着くためには…
科学 が必要です
科学こそが真理へと導くものなのです
どちらを選択しますか?
苦しいことは、避けたいですか?
それとも、
苦しいことと、向き合いたいですか?
このブログを読んでくださっている方は、どちらでしょう?
「避けたい」「向き合いたい」
どちらの「~したい(want・欲)」が勝ちますか?
科学的な思考によってこの結論を導くのって、とっても苦しいのです
恐怖なのです
悲しくて、怖くて、巨大な空隙を味わうかもしれません
だからね、恐怖を味わわないようにするためのものが、宗教であり、奴隷道徳なのかな~なんていう見方もできるような気もしています
ある種の「優しさ」なのだとも解釈できます
でも、この優しさは「フィクション」です
この「優しいフィクション」は、生存の恐ろしい現実から目を背けさせ、生きることから身を引いているものです
つまり、奴隷道徳がベースになっている私たち日本人の道徳も、「生存の恐ろしい現実と向き合っていない」「目を背けている」ということですぞ~
苦しみをしかと受け止め、人生を肯定しようとしていたのが、ギリシャ人だったのです
さて…
「苦しみを避けたい」という衝動が勝つのであれば、もう、このブログを読むのをやめることを選択してください
つまり、奴隷道徳を信じて生きることを選択し続ける、ということになると思います
「苦しみを受け止めたい」という衝動が勝つのであれば、このブログを読んでいただくと、「苦しみ」の意味が分かっていただけるのではないかと思います
これを分かりやすく伝えることができるように、私は頑張りました~(楽しみました~♬)
真理へと導くものは、科学です
「苦しみをしかと受け止め、人生を肯定する」
この意味が分かっていただけたら、新しい世界へ行けるかも(^^♪
「苦しみを避ける方法」というのがあるんです
それが、「奴隷道徳」を信じることです
そして、科学を否定することです
科学を否定するために必要なことが2つあって…
1つ目は、「自分が考えない人間になる」ということ
考える人間になると、苦しみ・恐怖を味わうんです
フィクションを何も考えずに信じていたら苦しまないのに、考えて導き出す過程や科学的な真理は苦しみだからです
2つ目は、「自分が欲を持たない人間になる」ということ(禁欲主義)
「知りたい」という欲をもつと、苦しみ・恐怖を味わうんです
追求しなければ、学びたいと思わなければ、生きるという苦しみから目を背けることができるのです
奴隷道徳のフィクションを信じている人は、「生きることの意味」について考えないから、知りたいと思わないがゆえに真理にたどりつかないから、苦しみを味わわなくてすむんです
だから、奴隷道徳がベースになっている国の人々は、「考えていない」「考える力がない」「学ぼうとする意欲がない」と言われているんですね
私の個人的な解釈です
意味や価値が必要
自分が生まれてきた意味は何か
自分の人生の価値は何か
考えたことがありますか?
「この人と出会うために、私は存在したんだ」
「この子を産み育てるために、私は生まれてきたのよ」
「誰かの役に立つから、私はここにいる価値があるんです」
「この仕事をするために、私はこの運命を背負って生まれてきたんだ」
人それぞれ、いろいろな意味や価値をみつけているのではないかと想像しています
私たちが生きるためには、意味や価値が必要だから、その意味や価値をそれぞれが見出しているのだと思います
私も、「家族や周りの人々と一緒に、幸せになるためだ」って意味をみつけ、「家族に愛されている、愛する家族がいる」という自分に価値をつけて、心を安定させようとして生きてきました
でもね、よ~~く考えていくとね…
自分が生まれた意味、何のために自分が存在しているのか、分からないんです
自分が作った意味や価値は、私が作った物語だからです
自分が作った意味や価値は、「科学的」ではないから、真理ではないのです
科学的というのには、2つの特徴があります
1つ目は、ある事柄について考えたりするときに、同じ答えや結果にたどり着くことです(再現性)
2つ目は、原因と結果の関係がきちんとあるということです(因果関係)
私たちが生きるためには意味や価値が必要なのに、生まれてきた意味、生きている価値が、考えても、考えても、分からないんです
深く考えてしまうと、怖いのです
意味が必要なのに、意味が分からない!
だから、苦しみと向き合わないようにする方法は、「考えない」「学ぼうとしない」という方法になるんですね
「自分が生まれてきた意味は何だ?」って深く考えなければ、自分の作った物語や誰かの作った物語を信じ続け、「意味が分からない」という恐怖、「自分とは何か」が分からない恐怖と向き合わなくて済むんです
そして、「知りたい」という欲がなければ学ぼうとしないから、真理を知らないままでも平気なんです
自分のことなのに、自分のことを知らないんです
自分で物語を作っていたのは、「真理が分からないから逃避していた」ということなのです
知りたいと思って学ぼうとしなかったのは、「欲を抑え込んでいた(抑え込まれていた
)」ということなのです
奴隷道徳に染まっていたんですね!私も!
ニーチェはカントとショーペンハウアーの形而上学から距離を置き、哲学に対する広い意味で「自然主義的」なアプローチへと向かうことになります。一般的に言って、哲学における自然主義は、真正な知を私たちにもたらすのは科学だけであり、それゆえ哲学的問題も科学の精神で取り組まれるべきだと主張します。加えて、自然主義は私たち自身に対するある態度を示すものでもあります。すなわち、人間は自然界のほかのものとを種を異にするものではないという考え方です。威厳をもち洗練されてはいますが、それでもやはり私たちは動物なのです。人間本性は根本的に生理的な性格のものであり、また生理的作用は物理的作用の一形態にすぎないという見方は、フリードリヒ・ランゲが『唯物論史』(1865年)で提示しましたが、ニーチェの自然主義的転回はこの書に強く影響されています。
人間は自然的な存在―あまりに人間的な存在―であり、肝心なことに、歴史的プロセスの産物だとされているのです。それまでの哲学の誤りは、人間を神に由来する永劫普遍の本性を持つ存在と見なした点にあるのですが、本当は、ダ―ヴィンが急激な成功をおさめているのだから、人間本性は進化の産物と考えなければならないというわけです。
『わかる!ニーチェ』ピーター・ケイル著 春秋社 P54.56より
形而上学(けいじじょうがく):
1形をもっていないもの
2哲学で、時間・空間の形式を制約とする感性を介した経験によっては認識できないもの。超自然的、理念的なもの。(goo辞書より)
意味は… 価値は…
私たち生きものの生理的作用も、物理的作用の1つなのですね~!
つまり、物理学の法則に従っています
私たち生物は、子孫を残そうとしていますが…
『生物は、「遺伝子の乗り物」だから、子孫を残そうとしている』ということです
遺伝子を残すために、効率良く安定的な「遺伝子の乗り物」となるために、動物は進化しています
私たち人間って、遺伝子を繋ぐための乗り物として生まれてきているんです
そんな、バカな!
と言いたくなりますが、このことについては、『そんなバカな!(竹内久美子著)』や、『利己的な遺伝子(リチャード・ドーキンス著 日髙敏隆訳)』という本に面白く書かれていた気がします
(読んだのは学生の時なので、内容をほとんど覚えていませんが、「面白い~!」という感情は残っています)
だったら、なぜ遺伝子を繋ぐ必要があるの~?
それって意味があるの~?
生物の細胞は寿命があるから、若くて元気な生物に乗り換える、というのは、生理的作用です
遺伝子が次々と「乗り物」を乗り換えています
効率の良い乗り物として、物理的作用の法則に従って生物は進化し、子孫を繁栄させようとします
宇宙の法則、自然の流れに沿って、遺伝子はただ、「乗り物」を乗り換えているだけです
つまり、人間は「乗り物として存在している」ということです
物理的作用に、意味や価値はありません
だからね…
自分という人間が、「この世に生まれてきた意味」「この世に存在している価値」って…
ない
これが、「自分が生まれてきた意味」「自分が存在する価値」の科学的な答えです
科学的というのは、ある事柄について考えたりするときに、同じ答えや結果にたどり着きます
科学的に考えていくと、この答えにたどり着くのです
これが、ニヒリズムという、ニーチェの思想の1つだね~
私たちに真正な知をもたらすものは、科学
自分が生まれてきた意味は、ない
自分が存在している価値は、ない
とことん、悲惨ですよね…
私たちが生きるためには意味が必要なのに、生きることに意味がないんですから…
「意味がない」という真実と向き合うのは、苦しい~~~( ;∀;)
ギリシャ人は、この苦しみと向き合っていた、ということなんだね~
ギリシャ人は、ペシミズムと向き合っていたようです
ペシミズムは、「生きるよりは、生きないほうがいい」という、否定的価値とはいえ、価値が置かれているものです
ニヒリズムは、「生きることはいかなる価値もない」というものです
ニヒリズムを理解したことで、私の心は安定しました
なぜなら、自分が抑圧していた無意識を、意識の世界へと持ってくることができたからです
「意味が分からない」状態から、「意味がない、ということが分かる」状態になったのですね
「自分のことが分からない」「答えが分からない」という不安定な状態だったものが、「自分のことが分かる」「答えが分かる」という安定した状態になったからです
今まで「考えても考えても、意味が分からないから怖い!」としか思えなかったことが、「そういうことね~!納得~♬」と思えるようになって、恐怖が消えたから、私は感動で涙が溢れてきました!
大事なのは、ここから!
大事なのは、この事実を受け入れた後の「自分の態度」です
「生きることは意味がない」という真正な知識を得て、一旦そのことを受け入れた後に、自分がどのような態度をとるか、ということが重要なんですね
そこに登場するのが…
ジャーン!!
ツァラトゥストラ~✨
私は諸君に超人を教えよう
ということなのです~!
ニーチェが「聖書に代わるもの」として、書いた本です
理想を持ち、自分で価値を創造する生き方を、伝えてくれているんですね~!
以前の私は、「自分が生まれてきた意味」を見つけようとして、一生懸命自分で物語をつくっていたわけなのです
自分で作り出した物語「フィクション」を信じようとしていたのです
私のフィクションは宗教のフィクションと同じであり、科学ではありません
宗教は、フィクションによって生まれてきた意味を教えてくれた存在でしたが、今、「高位タイプの人」の間では、「神はいない」ということが分かってきています
「高位タイプの人」の説明については、ここに追記しました~
(青色の四角い枠の中に、サッ!と動くようにしてあります)
それは、つまり、「科学を信じるようになってきている時代」とも言い換えられるわけなんですね
科学で様々なことが証明されてきている今の時代、フィクションを信じている人というのは減ってきています
宗教の作ったフィクション、あるいは、自分で作り出したフィクションで「自分の人生の意味はこれだ!」というものを信じていたのに…
科学によって「自分の人生には意味がない」ということを突き付けられると、苦しいわけなのです
意味を失った人類が必ず行き着く結末というのが…
「末人(まつじん)」
最も軽蔑すべき人間、とニーチェが言っている姿です
つまり、ですね…
ONF は超人の生き方をしています
真実、苦しみとしっかりと向き合っているんですね
理想を持ち、自分で価値を生み出しているから、輝いています!
「苦しみをしかと受け止め、人生を肯定する」
だから、深い!!
だから、美しい💗💗
中途半端ですが…
ここで、時間切れです…💦
続きは、次回!
(また来週末も忙しいから、アップできるか微妙ですけど…)
読んでくださり、本当にありがとうございます😊
01 はじめに…
02 神秘的
03 カッコいい
04 『SPOTLIGHT』
05 神ってる!!
06 オンリーワン☆
07 ブレイクタイム☕
08 ♪Aphrodite
09 ニヒリズム
10 超人と末人
11 永遠回帰
12 今、ニーチェでしょ!!
13 天才