2 新しい価値
信号がチカチカしたら 止まるの?
私が小学校低学年の頃の話です
遠足で、信号を渡って移動する時がありました
事前に、先生は、私たちにこのように伝えました
信号がチカチカしたら、止まりましょう
整列して移動する時に信号が点滅していたら、子供は前の人について行こうとしちゃうから、先生はこう言ったのだと思います
私は、隣の男の子 E くんと、手を繋いで歩きました
男女別に背の順で並び、隣になった子と手を繋いで歩くのですね
自分が苦手だと思っている E くんと隣になっちゃって…
E くんは、自分が傷つく言葉を言うから、あまり関わりたくなくて、自分からは話しかけようとしなかった子です
その E くんとずっと手を繋いで歩くのですから、苦しかった…
心が弾む遠足が、手を繋ぐことによって苦痛になっていました
私が渡り始めて3歩くらい進んだときに信号がチカチカしたから、私は急いで渡ろうとしました
そしたらね、手を繋いでいる E くんはどうしたかというと…
止まったんです
手を引っ張られながら、私、E くんに怒られました
「止まるって、先生に言われただろ!!」
E くんが止まったのは、横断歩道の上… つまり、車道で止まっています
早く行かないと危ないじゃん!
何なのよ!!
後ろの子だって、私と同じように急いで渡ろうとしていたのに!!
と思ったけど、引っ込み思案の私は、イラッとするだけで何も言えませんでした
そしたら、後ろの方にいた先生が大きな声で、「戻りなさい!」って私たちのことを怒るんです
ほら~! 私まで一緒に怒られたじゃん!
もう、嫌だ~~~~!!
自分に当てはめて 考える
私の体験談を読んでいただきましたが…
読んでくださった方は、どんなことを考えたでしょうか?
子供って、よく分からないことをするよね
道路を歩くんだから、手を繋いで歩くことは間違ってないよね
先生が、詳しく指導しないのが悪いんじゃない?
などなど、他にも、いろいろな声が聞こえてきそうです~(^^)/
ですが…
私のブログを読んでいただいて、私の意図が伝わっていたら、私が言いたいことを想像していただけるのではないかな~と思っています(^^♪
「自分に当てはめて 考える」 これが、必要なんです!!!
今の道徳への疑いが 世界を席巻するようになるだろう
ニーチェ
言い換えると… 当たり前を疑うことですね!
福沢諭吉も、道徳を批判していました
批判的思考をすることが、私たちが幸せになるために必要なんですね!!
私は、他人(福沢諭吉やニーチェ)の言っていることを、そのまま信じているのではありません
福沢諭吉やニーチェの言っていることを知り、自分に当てはめて考えた上で、福沢諭吉やニーチェの伝えていることを、「まさにその通りだ」と私は思っています
ニーチェに関する本は、まだ1冊しか読み終えていません
『「最強!」のニーチェ入門 幸福になる哲学 (河出文庫) 飲茶著 』
対話形式で読みやすく、クスッと笑える冗談がたくさん入っていて、言葉も図も単純明快!!
この本は、非常に分かりやすくて、見事な表現に感動しました✨
著者自身も、「ニーチェの思想を学んだことによって、自分の内側からエネルギーを生み出していて、幸せになっている」ということが伝わってきました
あと… いじめられたり排除されたりした辛い経験も書かれているのですが…
自分の周りにいる人々の立場、状況、環境なども含めて想像力を働かせ(エンパシーですね!)、広く深く物事を考えています
自分自身のことも客観視して受け入れていて、ものすごく大きな愛を感じました!
この本は、人々の幸せを願って書かれている、新しい世界の本です!
こういう本を、小学校や中学校で課題図書にしたり授業で取り扱ってくれたらいいのになあ
いじめが減ったり、抱えている重たい荷物をポイッと捨てて心が軽くなる子も出てきたりするのではないかと思います
「幸福になる哲学」というタイトル、ぴったりです!!
ニーチェの思想に触れたら、「生きるエネルギーが湧いてくる人がいる」と私は考えています💪
ニーチェの思想を知ることによって、自分が幸せになる方法を自分でみつけることができるんですね
ドイツでは、道徳の時間に哲学を学んでいます
自分の内側からエネルギーを生み出して、表現するのが人間なのです!!
日本の道徳は、古い
人々のエネルギーを押しつぶし、表現させずに抑え込む(抑圧する)のがアンドロイドです
私は先週、ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』を、1/3くらい読みました
私にとって、とても難しい本です💦
外国の本を翻訳したものは、体言止め、倒置法、日常的に使わない単語や言い回しを多用し、主語がはっきりしていないことも多くて…
文章の意味が分からない状態に、頻繁に陥ります…
「意訳して整理してある本を読んだ方が理解が進んだかもしれない」と今は思っていますが、頑張って読み続けています😊
ニーチェと福沢諭吉は思想がよく似ているな~と、『ツァラトゥストラ』を読んでいて感じます(読み取れた部分についてだけですが…)
今読んだところまでで、なるほど~と思ったのは…
「創造する」というのは、「破壊する」こと
創造者は、破壊者になるということです
それまでの常識が否定されることで、新しい常識ができます
天動説ではなく地動説が常識になる、ということです
批判的思考というのは、古いものを破壊することも必要になってきます
古いものを壊すことで、新しいものはその場所に存在できるようになるのですね~
今そこにあるものを「善」と信じている人にとって、創造する人は「悪」に見えます
壊しちゃうわけですからね…
以前からそこにある「共通の価値」を「善」と信じている人にとって、新しく創造された「個人の価値」は「悪」になってしまうわけです
だから、今ここにあるものにこだわっている人は、新しく創造する人を攻撃します
その人にとって、「善」を守ることは正義になるんですね
なるほど…
つまり、私は、自分の道徳を、疑っています
自分に刷り込まれた「価値」を、疑っています
「自分に当てはめて 考える」 これが、必要です!!!
信号がチカチカしたら、止まりましょう
これ…
間違ってますよ~~~~!!!!
今の道徳を疑うんです
今の道徳への疑いが 世界を席巻するようになるだろう
「自分に当てはめて 考える」ということを、私たちは学校で学ばせてもらっていません
だから、今、一緒に学びましょう!!!
↑ って…
これも、行動を指示してるじゃん!!!
また間違えちゃった…
一緒に、学ぼう!
でした!!
重要なのは、意志形ですね!!
自分の内側から、自分で「学ぼう」という意志を生み出すことが大切なんですね~!!
信号がチカチカしたら、止まりましょう
先生がこんなことを言うのは、おかしいです!!!
【行動を指示する】のは、アンドロイド
従順という心の病い
アルノ・グリューン 著
~ 私たちはすでに従順になっている ~
学校の先生は、私たちを従順他律にさせようとするから、私は 心の病(不満)を抱えていました
私の自由を奪っていたのは、学校です
「前へならえ」「なおれ」「荷物を右側に置いて体育座りをしましょう」などの【行動を指示】されることによって、私たちは考えないアンドロイドにさせられ、不満を抱えていることについては、以前書きました ↓
【行動を指示する】のは、アンドロイド
【行動を指示する】言葉を使っている、「~しましょう」という指令を出すのは、アンドロイドなのです
アンドロイド(龍)は指令を出すから、子供は苦しむんです
以前の私は、「他人の権利を守るものだったら、【行動を指示する】ことは問題ない」と考えていました
でもね…
私は、また、間違えていました…
信号がチカチカしたら、止まりましょう
先生は正しいことを言っていて、正しい交通ルールを子供に伝えている
一見、このように思えるのですが…
実は、これも、『考えない、想像しないアンドロイドを生み出すものである』ということです!!
信号がチカチカしたら、止まりましょう
これが正しいと思っているのは、先生の 思い込み ・ 勘違い です!!!
先生 が 子供 を苦しめている
今の道徳への疑いを持つことが、私たちが幸せになるために必要だって、ニーチェは伝えてくれているのですね~
存在するのは 解釈だけ
正しいように思える事柄を、ルールとして与えることによって、子供が苦しんでいるだなんて…
信号がチカチカしたら、止まりましょう
これが「龍」の行いであるということ、私は想像していませんでした~!
私だって、この言葉を使っていました
私自身もいつの間にか、「龍」になっていたということなんです!!
大人がつくったフレーム(ルール)の中に子供をおさめようとして、【行動を指示する】という行為が、子供を苦しめている
言い換えると…
大人が子供にルールを与えることによって、子供が苦しんでいる
私も、知らなかったんです
私…
つい最近まで、ずっと…
勘違い し続けちゃいました!!!!
「〇〇しましょう」という【行動を指示する】伝え方でも、本物ルールを伝える時にはOKだと思っていた
「交通ルールを教え込む」ことで、苦しむ人がいることに気付かなかった
人々の権利を守る事柄でも、ルールとして与えてしまうと、考える力・想像する力を奪うことに繋がると気付かなかった
ということです
2年前に、私が書いた文章です ↓
廊下や階段の右側を歩きましょう
授業中、むやみに立ち歩くのはやめましょう
時間を守りましょう
安全、人々の幸せの権利を守るために必要
これらを守らないと、誰かの幸せを奪ってしまうことがある
迷惑になることがある
この文章が、私の思い込みだということです
【行動を指示する】という「伝え方」が、古かったんです
ルールを与えてしまったら、子供は苦しむんです
↓ これも以前、書いていたことなのですけど…
本当は、本物ルールも子供達で話し合わせるのが1番良いと思っています!!
みんなが幸せになるためには、どういう[ルール]が必要か
なぜそれが[ルール]になっているのか
自分の頭で考え、自分の考えを伝え、他人の考えを聞き、思考を深め、自分の『考え方』を持つ
これが、大事だったんですね~!!
ルールにする、ということは、【行動を指示する】ということです
そうすると、苦しむ人が生まれます
これが、刷り込み・教え込みなんですね
自分に当てはめて考えていないから、私は間違えちゃったのです
自分は考えている、と思っていたのは、私の思い込みなのです
「横断歩道で3歩進んでいたら早歩きをする」というのは、私の解釈なのです
他人の解釈とは違っていて当たり前なのです~!!
私は、違いを認めていなかったんですね
事実というのもは存在しない
存在するのは解釈だけである
ニーチェ
信号がチカチカしたら、止まりましょう
これは、アンドロイドの指令になります
この指令によって存在するのは、解釈だけです
①「信号がチカチカしたら、その場で止まる」
②「信号がチカチカしたら、走って渡る」
③「信号がチカチカしたら、近い方の歩道に早歩きで行く」
④「信号がチカチカしていても、私の親は「急げ~」って言いながら渡っているから、先生が嘘を言っている」
⑤「信号がチカチカしたら渡れないなんて!!信号を渡るのは怖いよ~」
5つだけ例をあげましたが、もっともっと、私の想像を超えた世界が広がっています!!
仮に、先生は「渡る前に、信号がチカチカしたら止まってね」という意味で行動を指示したのだとすると…
②と③の⑤の解釈が先生の意図に近い、ということになりますが、捉え方はバラバラです
私は、「横断歩道を渡っている途中に、歩行者が向きを急に変えて戻る」という③は、危ないと考えています
車の運転手側が左折をするとき、その歩行者が通り過ぎたとみなして進もうとすることがあるからです
運転手側を驚かせてしまうし、運転手がその歩行者が戻ってくることに気付けない可能性もあります
先生が指令を出した時、①~⑤の子供たちの世界では、チカチカ点滅し始めた時にいる自分の場所がバラバラなんですね~!!
先生の意図が、伝わっていませんね~
解釈が違うのが、当たり前なのです
今回の例でいうと、私と手を繋いでいた E くんは、①のように解釈していたから、その場で止まったんですね
私は、②のように解釈していました
そして、「前の子と離れたら走って追い付かなくちゃいけないのに~ 止まらなくちゃいけないなんて、離れたらどうしよう… 遠足の時に列に並んで信号を渡るのは怖い!」と⑤のようにも思っていたんです💦
【行動を指示する】こと、つまり、ルールを教え込んでいる学校の先生というのは、この解釈のずれに全然気づいていないのです
子供がどのような解釈をしているか、先生は子供のことを知ろうとしていないから、子供のことが分からないのです
子供が自分と同じ解釈をしていると、先生が思い込み・勘違いをしているということです
先生と子供の解釈が違うのに…
先生が子供の世界を知ろうとしていないのに…
先生は、「『信号がチカチカしたら、渡っちゃだめ』って言ったでしょ⚡」と子供を叱ります
「止まりましょう」と言ったのであって、「渡っちゃだめ」とは言ってないはずなのに…
こんなふうに言葉が変わっていたとしても、平然と、先生は自分の正当性を主張したりもするんですね
E くんは、「止まりましょう」って言われたから、①のように解釈して、言葉通りに止まったのです
これが、指示通りに動こうとしている子供であり、考えなくなっているアンドロイドです
指令を守る癖をインプットされてしまうと、自分で考えて行動する「判断力」「行動力」が身に付かなくなります
他人の指令(ルール)で自分が動くことを優先させ、自分の指令(自分の頭で考えたこと)で自分が動くことをしない子供になっています
「他者からの指令を受けてその通りに行動しようとする」というのは、まさに、アンドロイドです
そして、私も、他人の心を想像しないアンドロイドになっています
E くんがなぜ止まったのかなんて全く想像しようとしていないし、E くんが間違っているでしょ~!って不満に思っているだけなんです
私は、自分のことしか考えていない、自分の作ったフレーム(自分の解釈でできた世界)に他人を納めようとしている、自己中心的な子供になっています
E くんが、どんなことを考えていたか、どんな解釈の世界になっているか、なんて、この時の私は想像していません
自分と他人は解釈の仕方が違うのに、他人の心を想像しようとしない、思いやりのない子 に、私はなっているんですね
E くんの『心』を大事にする、ということを、私はしていないのです
「指令を出して他者を操作する」のが常識になっている従順他律の社会では、先生も子供たちも、新しい脳みそを使わない状態になっているんです
考えていない
想像していない
ということですぞ~
3人とも、「自分が正しい」と思っていて、他者に不満を持っています
それぞれが、自分の解釈が正しいと思い込んで、自分の解釈を相手に押し付けています🐉
「他者の解釈が自分の解釈と違う」ということなのに、違いを認められなくなっているから、自分の解釈が正しいと思い込んでいます
先生、Eくん、私、3人が3人とも「自分の解釈が正しい」って思っています
自分の解釈を相手に押し付け、「自分は悪くない、相手が悪い」と、3人とも思っています
先生は「自分は悪くない、子供が悪い」と思っているから、子供を叱ります
E くんは「自分は悪くない、進もうとする人(私)が悪い」と思っているから、私に怒っています
私は「自分は悪くない、止まった E くんが 悪い」と思っているから、E くんに対して不満を持っています
3人とも「自分が正しい」「正しいのは自分だ」と思っている
この3人は、違いを認められない自由の無い砂漠にいます
先生は支配者になり、子供を従順にさせようとして、心の病を抱えています
子供たちは支配される人になり、先生に従順になって、心の病を抱えています
3人とも、解釈の違いがあることを、分かっていないんですね
3人とも、「違いを認めること」を、知らない
従順他律の社会では、子供への指示の出し方について考えない、他人の心を想像しない、「自分が正しい」と思っている自己中心的な先生の「龍の行い」が常識となっています
日本では、他人に【行動を指示する】ということが、常識になっている
自己中心的な考えを持つ先生のような思想が、常識として学校に存在し続けているから、アンドロイド製造工場として稼働し続ける学校が保持されています
指令に従おうとする子供を、育て続けています
つまり、「指令に従うのを正しいと信じる子供」を、育て続けています
「信号がチカチカしたら止まりましょう」
という言葉に違和感を持てないのであれば、
「指令に従うのを正しいと信じているから」なのですぞ~
「自分が解釈しているものは、正しい」と思い込んでいます
「自分は先生の言っている言葉を信じている」ということなのです
「自分が解釈している言葉を疑う」ことをしないようにさせられています
信号がチカチカしたら、止まりましょう
多くの人は、この言葉がおかしい!とは思いませんでしたよね?
ということは、「この指令を信じている」ということなんです
このブログを読んでくださっている方も、「この指令が正しい」と信じていませんか?
私も、ちょっと前まで、信じていました~!!
この言葉に違和感を持たない、ということは、アンドロイドの世界に染まっている、ということなのです
この指導が間違っているとは誰も思わなくなっているし、「先生、あなたの指導、間違っていると思うんですけど…」って誰も言わないですよね
自分が解釈しているものは正しい と 思わされているから、先生の指導を疑わないようにさせられているんですね
自分でそう「思っている」のではなく、「思わされている」ということなのです
従順他律の社会では、「〇〇しましょう」という指令を出すことを常識にしておくのですね
たくさんの人が指令の言葉を使っていたら、人々は、違和感を持たなくなります
日本の学校では、ほとんどの先生が指令を出しまくっているのですから、「指令を出すのが先生」ということが、私たちにすでに刷り込まれているんですね
先生の指示や叱責は「自分の解釈を他人に押し付けようとしている」と言い換えられる!!
「指令を出すのが先生で、指令に従うのが子供」
というのが、私たちにインプットされちゃってるわけです
これが、アンドロイドの世界なんですね
「先生が指令を出し、子供が指令に従う」という構図を、疑わないようなっています
「思わされている」「信じ込まされている」ということです
子供たちは、自分の世界を表現させてもらっていないんですね~
他人には他人の宇宙(解釈によってできている世界)があることを知らないから、自分の解釈が正しい!って思い込んじゃっているんです
「自分が正しい」となるのは、自分の宇宙しか知らないからのです
「他人にはその人だけの宇宙が広がっている」「他人には他人の解釈・価値が存在している」ということが分からなくなっちゃってるんですね~
だから、自分の解釈と異なるものを否定し、「違い」を受け入れられなくなります
3人とも、相手の解釈を「違い」として受け入れてないから(知らないから)、「相手が間違ってる!」と否定している、ということですぞ~
先生が指示を出しているから、「違いを認められない日本人」になってる~!!
日本人の国民性って、これが原因ってこと~~~?
ゾワーッ💦
ヨーロッパでは…
当然、子供に、考えさせたり、想像させたりしてますよ~
解釈が違って当たり前!
だから、子供たち1人1人に、それぞれの解釈を言葉で表現させるんです
議論、議論~♬
だって、考えたり想像したりするのが、人間ですから~(^^)/
「自分の頭で考えない人、他人の心を想像しない人を育てている」「間違った常識を信じ込まされたままでいる」これが、今、自分たちがいる日本の学校の姿です
考えない、想像しない子供にさせている学校の常識を信じている
これが、今の、自分たち日本人の姿です
つまり、「自分の頭で考えない」「他人の心を想像しない」「間違った常識を信じたままでいる」というのが、今の多くの日本人の姿なのです
FACE YOURSELF!
指示通りに動く、というのが常識になっている日本の学校は、新しい脳みそを使わない人を生み出す場所なんです
指令を出しているおかしな状態が常識になっていて、支配者の指令に従うことが今の日本の当たり前なんです
指示通りに動こうとしていたら、アンドロイドです
学校のことを「アンドロイド製造工場」と私が呼んでいることに、納得していただけますでしょうか?
超納得~!
説得力ありまくり~!
ペンギンさんに言ってもらっているけど、自分で言って自分で納得してるってことですけどね~(笑)
信号がチカチカしたら、止まりましょう
間違ってますよ~~~~!!!!
先生がこんなことを言うのは、おかしいです!!!
多数派の日本人は、
「指令を出している状態は、正しい」と思い込んでいます
「自分は先生の言っている言葉を信じている」ということなのです
「自分が解釈している言葉を疑う」とことをしないようにさせられています
信号がチカチカしたら、止まりましょう
指令に従うことを正しいと信じている人、つまり、自分がアンドロイドになっている状態に疑いを持たない人を育てているのが、日本の学校なんですね
今、このブログを読んでくださる方は、鏡をのぞき込みましたよね
鏡をのぞき込む、というのは、学ぶということです
他人のことを知る、ということは、「自分のことを映す鏡を見ている」ということです
自分の姿が鏡に映っていると思います
鏡に映っているのは、
指令に従うことを正しいと信じ続け、自分の解釈が正しい、自分が正しいと思っている、新しい脳みそを使わないアンドロイドですか?
それとも、
先生の指令が間違っていることに気付き、自分の頭で考えて行動し、他人のことを思いやることができる、新しい脳みそを使う人間ですか?
もし、人間なのであれば…
「先生(他人)の指令を守る」という【教え】が、間違っている!!
というのが、もう、分かりますよね~ !(^^)!
う~~~
何度見ても、カッコいいものはカッコいい!!
カッコいい人たちは、どういうメッセージを私たちに送ってくれているのでしょうね~??
ね! FUSE の皆さん💗
他人を信じていると、疑うことをしなくなる
信号がチカチカしたら、止まりましょう
このように【行動を指示する】先生の言葉を、誰も疑わなかったんです…
私も、この言葉を、信じていたんですね…
「先生は、正しいことを言っている」と、ほとんどの人が思い込んでいる事柄だと私は想像しています!!
存在するのは解釈だけなのに、それぞれが自分の解釈を信じて、相手に不満を抱く!!
相手の解釈を想像しない!!
指令を出したり出されたりするのが常識になっていると、他人への不満がたまっていく一方なのです
「自分は悪くない!他人が悪いんだ!」「自分が常識に沿った考え方をしていて、自分が正しい」という思想を持つようになり、これが日本人の国民性になっていきます
この思想は、戦争をする国の人々の思想です
「指令を出す、指令に従う」という「ルールを守ること」が常識になっている国では、自分と他人は「解釈が違う」ということが分からないのです
先生自身が、自分の解釈を他人に押し付けるだけだから、ほとんどの人は学校で「解釈の違い」を学んでいない、ということですぞ~
違いを認め合わないから、戦争になります
「自分は悪くない!他人が悪いんだ!」「常識的な自分は正しい!」と、それぞれが思っているんですね
だから、「思想の抑圧」「暴力」が正当化されます
『怒りの感情を他人にぶつけ、他人の思想を抑圧している自分』
『怒りの感情を他人にぶつけ、武器を使って人を殺めている自分』
この姿であっても、「正しいのは自分」と思っているのですから!!
学校の先生も、「正しいのは自分」と思っているんだね~
自分と解釈が異なる子供を叱る、ということは「子供の思想を抑圧している」ということですぞ~
まあ、今回の例で言うと、後ろにいた先生が「戻りなさい!」と言ったのは、命を守るためだから、必要かもしれないですけど…
先生が指令を出していて子供が違う解釈をしていると、叱っていることがほとんどです
「ちゃんと私は言ったのに、聞いていなかったあなたが悪いです」と…
「戻りなさい!」と言ったとしても…
「なぜ、先生がそう言ったのか」については、考えさせることが大事なのだと思います!
違う言葉のかけ方があるような気もするんだけど…
思い浮かびません…💦
私たちのいる日本も、従順他律(指示に従うこと・ルールを守ること)が常識の社会なわけですから、人々は、「自分は悪くない!他人が悪いんだ!」「自分が正しい!」って思うようになるんですね
先生は「自分は悪くない!子供が悪いんだ!」「自分が正しい!」って怒りの感情を子供にぶつけて子供の思想を抑圧しているのに、そのことを正当化しているわけです
子供たちも、同様に、「自分は悪くない!相手が悪いんだ!」という思想を持つようになります
「自分が正しい!」という、他人を抑圧しようとする思想が、日本の学校に通うことによって自分にも植え付けられている、ということです
だって、日本の学校では、「〇〇しましょう」と言っている先生の指令を守ろうとすることが常識になっているのですから!!
自分と他人の解釈の「違いが分からない」状態で大人になっているのが先生であり、学校の常識をつくっているのは先生なのですから!!
そこにいる大人が自己中心的なアンドロイドになっていて、先生自身が「自分が常識的な人間である」と思い込んでいます
子供も「〇〇しましょう」と言っている先生の思想を常識だと思い、指示に従うのが常識だと思ってしまいます
それぞれが「自分が正しい」と思って解釈しているから、心が病んでいきます
従順他律が常識の社会の中に自分がいて、「自分が常識的な人間である」と思っていると、「自分がアンドロイドの社会の常識を信じている人になっている」ということに気付けなくなります
もちろん、私にも当てはまります!!
「先生は正しいことを言っていた」と、つい最近まで信じていましたから!!
私は「自分が常識に沿っている考え方をしていて、自分が正しい」と思っていたんですね
指令を出されている社会では、違いが分からず、他人の心を想像しないから、それぞれが「自分が正しい」と思っているんです
私は、大人になっても「ルールを守ること」を信じていて、苦しみ続けていました
私の目を覚ましてくれたのは、我が子です~(^^)/
愛するものをみつけて学んだり考えたりすると、自分が洗脳されていたことに気付けるんですよ~💗
このブログを読んでくださっている方も、ONF を愛しているから、学んだり考えたりしてますよね~
そうすると…
気付くことができます~♬
自分がずっと信じ続けていた常識は、従順他律の社会の常識だった
ということなのです
今、鏡をのぞき込みましたよね?
他人は自分を映す鏡です
じゃあ、自分は何を信じ続けてきたのか、自分に当てはめて考える、ということが、「鏡を見る」ということです
創造者を 替える
誰かの権利を守るために、ルールは必要です
だけど、「権利を守るため」ではないルールがたくさん存在しています
つまり、これが偽物ルールです
私は今回の投稿でずっと「ルール」と書いてきていますが、これは、「権利を守るための本物ルール」と「支配者の価値を刷り込むための偽物ルール」というのを混ぜて書いています
何が守るべきルールで、何が守らなくていいルールかを、1人1人が自分の頭で考えることが必要なんです
偽物ルールというのは、「社会的偏見と抑圧でできているルール」と言い換えられますね!!
「ルールを守る」というのは、合っています
でも、「ルールを守りましょう」と指令を出す「伝え方」は、間違っています
そして、「偽物ルールを守る」というのは、間違っています
さらに、大事なことを私たちは学んでいません
今の私たちに必要な学びは、この言葉なのだと思います
「ルールは変えることができるよ」
「ルールは変わることがあるよ」
こういうふうに言葉をかけてもらえたら…
「安心して自分の宇宙を表現できる」と私は思っています
言い換えると、本音を言う、真心を『声』にして表現する ということです
この真心が、人を幸せにします
人のことを大事に思っているのが、本当の人間の姿だからです
おかしなことを常識にされている社会では、「人のことを大事に思う真心を表現すること」が「悪」になっています
人々を苦しめる「偽物ルール」に気付いた人が、真心を届ければ、ルールを変えることができるんです
FUSE の皆さん~
ONF のメッセージですよ~
ONF は、私たちに、歌で伝えてくれていますよ~
新しい世界
走り続けろ 疲れたら言ってくれ
僕の息を君に分けてあげるよ
振り返ったらダメだ 君の恐れを食べて生きる
暗闇が僕たちを追ってきてるから
君と僕の重力がもっと大きくなったら
軌道は変わるかもしれない
理論をひっくり返し常識を超え
新たな次元の世界へ
僕らは行けるはず
約束したことは守りたい
僕が君の暗闇を照らしてあげる
やっぱり、この歌に戻ってくるんですね…
あらためて… 惚れ直しちゃう~💖
ONF は私たちと一心同体です
新しい価値は、古い価値を信じている人にとって「悪」に見えるから、表現するのは勇気がいるんですね
だけど、こうやって、「一緒に幸せになろう」って言ってくれているのが、ONF なのです
私は、ONF をギュッと掴んでますよ~
ギュッと掴む人が増えて “重力がもっと大きくなったら、軌道は変わるかもしれない”
希望です
「FUSE が集まって、真心を『声』にしたら、ルールは変えることができる」って希望をもつんです!!
私たち FUSE は “理論をひっくり返し常識を超え新たな次元の世界へ” 行ってると思いませんか~???
私の文章を読んで、今までの理論がひっくり返って、常識が変わった人もいるでしょ~💖
これが、“新たな次元の世界” ですよ~
僕らは行く 新世界へ(Higher)
僕らは行く 新世界へ(Higher)
君と僕の未来
高鳴る君の心を信じる
悲しい物語はないはず
一緒ならそれでいい
新世界へ Fly high
私たちが ONF にときめく「真心」を信じてくれています
“悲しい物語” などありません!
筋道の通っている言葉で、自分の正しさを証明できます!!
ただ、『私たちは大好きなアイドルに音楽を作り続けて欲しい』『コンサートで幸せを感じ合い、SNS で愛を伝え合い、アイドルと愛し合いたいんだ』って真心を伝えればいいだけなのです
真心を表現するのが、愛する心を表現するのが、“新世界” です
ONF と FUSE は、一緒に愛し合うことを大事にすれば、高く飛べます💖
“一緒なら、それでいい”
自分の自由、アイドルの自由を主張すればいいのです!!
大事なものを実際に大事にする
自分で自分の幸せを手に入れるのが、超人です💪
新しい世界の常識は、真心を『声』にして、表現することですから!!
誰にも届かなかった場所
僕らだけが知ってる場所に行かないと
僕たちが望んでた姿になれない
不幸にならないため
We need to be happy
So need to change everything
悪こそが正義なのか
この世界はゆがんでる
愛の意味もかすんでいく
“誰にも届かなかった場所 僕らだけが知ってる場所”
このブログを読んでくださる FUSE の方は、常識が覆った「新しい世界」を知ることができた、と私は信じたいです😊
つまり、新しい世界は、 今まで他のアイドルやファンたちが “届かなかった場所” だったし “僕らだけが知ってる場所” になっていませんか?
“We need to be happy! So need to change everything”
私たちが幸せになるためには、変わる必要があるんです
古い価値を破壊し、新しい価値を創造する
「神は死んだ」というニーチェの言葉は、創造者が替わることを意味します
世界をつくっていたのは他人(神・先生・親)でした
それを
世界をつくっていくのは自分
に変えるんです
集団の共通の価値に従うのではなく、自分で創り出した個人の価値に従うことです
『真心』を隠すようにさせられて表現しないままでいるのではなく、『真心』を表現することです
言い換えると、
アンドロイドとして生きるのではなく、人間として生きることです
古い世界では、私たちの『真心』は「悪」に見えます
創造者は、破壊者だからです
『本当に偉大なのは、創造することだ。だが、大衆はほとんどこれを理解しない。(ニーチェ)』
私たちは、少数派だけど、偉大です!!!
新しい世界では、真心が「善」です
価値を決めるのは、自分だから!!!
“愛の意味” が、素直に伝わるんです~~💖
01 はじめに
02 新しい価値
03 知は力なり
04 現実にする