愛するという行動

12 人間らしくなる

ここで必要なのが、エンパシーです

相手がなぜそのようなことをしているのかを、想像し、考えることが必要になるんです

人間らしく伝えることが必要なのです

乱暴なまま伝えると、暴れ馬になっちゃいます

暴れ馬にならないように、人間らしく想像し考えてから伝えることが必要なんです

自分で自分を律することです

『伝え方が9割』!(読んでないけど…)

私の真心には、続きがあります

先生は一生懸命子供のことを大事にしようと、熱い思いをお持ちなのだと思います
子供を幸せにしたい、未来の日本を明るくしたいという強い思いがないとできないお仕事だと思います
本当に心からありがたく思っています
人が足りていない中、先生自身も苛酷な状態で仕事をされているから、忙しさのあまり、子供を苦しめていることに気付くことができないのだと思うのです
私は、子供を苦しめて欲しくないのです
この古いシステムが子供を苦しめています
だから、古いシステムを見直して、新しいシステムに変えてくださったら、これから先の未来を生きる子供たちは自由に人間らしく生きることができます
憲法・法律は新しいシステムにすることを目指しています
この法律通り、考える子供を育てることを実際に行っていただきたいのです
明るく発展した希望ある未来は、考える子供たちによって作られていきます
新しいシステムに作り替えることができるのは、先生方です
私は、意志を伝えることしかできません
だから、先生たち自身が、古いシステムを見直そうと動いてくださらないと、子供は苦しむままなんです

これが、相手のいる状況を想像し、考えている状態です

相手のことも思いやっている状態です

暴れ馬だったのに、相手の心を想像し、考えると、人間らしくなります

これも、私の真心です

ただ、相手の置かれている状況を想像して考えて伝えていても、従順他律を信じている人達からは、「うるさい親だな~」と思われるんですね

嫌われます

「我慢しない状態をわがままだと思って嫌う」というのは、「支配させない状態にしようとするものを嫌って排除するように、感情を操作されている」ということなのです

従うように操作されているのが、従順他律の社会だから

操作されるのが、アンドロイドだから

古いシステムを保持させ、支配をなくさないように操作されているのが、従順他律の社会だから

クリティカルシンキング(常識を疑うこと)によって、思い込み・偏見で作られている支配者のルールが間違っていることに気付くことが必要です

自分の心と異なる支配者のルールを守ろうとするから、苦しくなります

「心」と「行動」が一致していないから、苦しくなります

我慢させられているから、苦しくなります

自分自身に刷り込まれた「(支配者の)ルールを守る」「我慢しようね」という常識が、間違っていることに気付くことが必要なんです

支配者は、憲法(本物のルール)を守っていません

個人を尊重していない(1人1人を大事にしていない)のが、日本の常識です

支配者の間違ったルールを信じたままでいると、いつの間にか、自分自身も憲法を守らなくなってしまいます

個人を尊重していない(子供を大事にしていない)のです

自己理解・自己受容をすることが必要なんです

守るのは、正しいことを言っている日本の憲法というルールです

個人を尊重する(人を大事にする、自分を大事にする、子供を大事にする)というのが、日本の憲法・法律であり、多くの学校の教育目標です

この憲法は、人類普遍の正しさが文字にして書かれているものです

この憲法の言葉は、自分で考えて導き出した正しさと同じです

信じるのは、自分自身です

エンパシーが、世界を救います

というわけで、私は先生を攻撃したいのではありません

先生自身も、古いシステムの被害者でもあるからです

罪を憎んで人を憎まず!

古いシステムを憎んで先生を憎まず!

私は、古いシステムをエラーにしたいのです

これが、外からの力です

このように、古いシステムをエラーにしようと「声」をあげる人間が、たくさん必要なのです

私の心の中には、暴れ馬がいます

この暴れ馬も、私の真心です

ここは、変わりません

この信念を曲ないままで、自分自身を信じ、人間となって「声」を届けることが「愛するということ」なのです

学校がルールを与えたことで、我が子が苦しんでいます
他にもそのように感じる子供はいると思います
制服を着ると苦しむ子がいるのです
そんな子供たちの姿を見るのが辛く、悲しく、私も苦しいです
子供が苦しむと、親も苦しいのです
どうか、私たちを苦しめないでください
違い・多様性を認め合い、苦しむ人を生み出さない社会を作ることができる『考える人間』を育てていただきたいのです
大人が与えたルールをただ守らせるだけだと、考える人間に育たないように思います
目指すのは、自主自律ですよね
自分で自分のことを決められるというのが自主自律の正しい解釈ではないでしょうか
この生き方ができる社会になることを、先生も理想として描いていらっしゃると思います
人間が人間らしく、自分らしく生きる力を持つ人間を育てるためには、自分自身のことについて子供たちに考えさせることが必要だと思うのです
どうか気付いてください
私たちの心を見ていただきたいのです
先生が作ったフレームによって、私たちは苦しんでいます
子供には、自分の思うように、自分らしく楽しく毎日を過ごしてもらいたいのです
様々な考え方を知り、議論を通して考え方を深め、自分のことを自分で決める力を養うのが、自主自律の教育ではないでしょうか
「制服の長所短所は何か」「制服を着ることの意味は何か」「自分で着る服を自分で決められない社会になっているのはなぜか」など、子供自身に考えさせ、議論させて実際に責任を持って行動できるようにすることが、自主自律の子供を育てるということだと思います
子供が真心を伝えることができる議論の場を設け、感じ方考え方の違いをお互いに認め合えるようになってほしいのです
違いを認め合うのが、個性を尊重するということですよね。
私たちは、学校教育目標どおり、自主自律の教育を望んでいるのです

エンパシーを持ち、言葉で伝えることなんです

出る杭が細くて少ないと叩かれてしまうけど、たくさん集まって太くなると叩かれなくなります

真実に気付くことができた、たくさんの親の「声」で

真心を伝えることができる、たくさんの親の「声」で

力への意志をもつ人間の、外からの「声」で

これが、愛するということだからです