愛するという行動

14 仲間がたくさんいると、安心

「〇〇先生」と言う呼び方も、勘違いを生み出します

教員も政治家も、「先生」と呼ばれ、勘違いをしてしまう方がいらっしゃいます

こう呼ばれると、上にいるような気分になっちゃうみたいです

人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず

先生のことを「大人」といい、「〇〇さん」と呼んでいるんでいる学校もあります

このことを知ってから、私も先生と呼ばれる人のことは「〇〇さん」と名前で呼べば良いと思うようになりました

このブログでは、読んでくださる方に分かるように「先生」と書いていますし、普段もこの言葉をつかっています

でも、いつも違和感を持っています

ついでに言ってしまうと、「主人・奥さん・嫁さん」という女性が独立していない呼び方を使うのではなく、「パートナー」「夫さん・妻さん」という呼び方が当たり前になって欲しいと思っています

政治家のことは、「先生」と呼ばすに「〇〇さん」と名前で呼ぼうとやっと動き出したみたいですし、日本はゆっくりだけど、いい方向に向かっているのかもしれないな~なんて思ってもいます

そもそも、政治を行う人々は、自分の職業を持ち、そこでの問題や課題を直接政治に生かすものだと私は考えています

現場のことが分からない人が政治をしている時点で、良いものは生み出せないと思います

実際に教育先進国の地方自治体では、一般市民が政治を行っています

支配がありません

つまり、日本の学校でも、「制服」について、問題や課題を分かっているのは、制服を着ている本人たちです

本人が自分で考えれば良い話なのです

教育現場の先生の支配が、政治の先生の支配に繋がっています

おかしなルールなのに、おかしいと気付けない

支配者の指令が、ルールになってしまっている

迷惑にならない他人の行動を制限するのは、1人1人の感じ方考え方の違い、多様性を認めていないものだからです

自分が着る服を他人に決められてしまうなんて…

我慢しながら、苦しみながら、自分の服について何も考えずに、苦しんで着続けるなんて…

私自身も、いつの間にか周りと行動を合わせようとし、苦しんでいたなんて…

当たり前(支配)を疑うクリティカルシンキングでよくよく考えると、おかしいと気付けると思うのです

クリティカルシンキングで物事を考えることができないと、支配はずっと繰り返され、未来にも続きます

だから、幸せな人類の未来を今にするには、外からシステムエラーにする方法が、必要になります

ルールを守ることが幸せになる方法だと信じている人、自分が支配者になっていることに気付けない人には、外から「苦しいです」「間違っていますよ」「子供と一緒に笑顔になりたいです」って真心を伝えることが、力になります

中の人(子供)は、支配されているから、真心を伝えても、「我慢しようね(苦しみ続けようね)」と言われるだけなのです

ルールと異なる意見は、文句を言っているように見え、ただのわがままな人になってしまい、伝わりません

支配のある世界には、外からの力、そして、数の多さが効果抜群!というわけなのです😊

それに、自分と同じ思いの人がたくさんいると、安心して「声」に出せちゃうんです💗