愛するという行動

4 いつの間にか、従っている

我慢する (道徳)

常識をそのまま信じて疑わず、考えない

偏った思想(偏見)を刷り込まれ、心と行動を一致できずに抑えつけられる(抑圧)

みんな(全員)で幸せになれない

↑ここだけ読むと、まるで、ミサイルを飛ばしている外国のようだと思わないでしょうか

でも、これが、私たちがいる日本の、今現在のシステムです

日本の学校で、古いシステムに従うことを刷り込まれると、考えなくなります

指令で作られたルールを守ろうとしてしまいます

指令がある状態に慣れてしまって、指令が無いと不安になり、自分の真心を素直に伝えられなくなります

正しいことを言っている言葉に共感し、納得し、自分もそれが正しいと分かっているからこそ、ここで勘違いが生まれてしまうのです

1人1人の感じ方考え方が違うことが分かっていて、自分もそれが正しいと分かっているからこそ、自分自身のことを誤って認識してしまいます

これが、イドラです

天が動いて見えるのが当たり前だから、それを信じている

ルールを守るのが当たり前だから、それを信じている

↑これが、間違ったことを信じている状態です。

↑これが、真実に気付くという状態です

自分たちは自由だと思っている

自由がない状態なのに、自分たちは自由がある状態だと思っている

思い込んでいる

私たち自身が、従順他律の学校の状態を、正しいと信じ込まされています

私たちが苦しいと感じ、幸せだと感じられない(幸福度が低い)のは、社会のシステムが古いのです

ミサイルを飛ばしている国と同じような従順他律を保守し続けるシステム(支配のある社会)が、真実の日本の姿です

このシステムをエラーにすることで、新しい世界(自由な社会)を生み出すことができます

1人1人が幸せを感じることができる世界です

ところが、ルールというものの存在を疑わないから、ルールを守ることを信じ続けているから、考えないから、システムが古いまま改善されず、保持されてしまっています

ミサイルを飛ばしている国の人たちの髪形を見て、「同じような髪型だな~」と思っているかもしれませんが、日本だって学校で髪型を制限されているのだから、同じような状態です

ミサイルを飛ばしている国の人たちの表情を見て、「行動を制限され、真心(本音)を言えなくてつまらなそうにしているな~」と思っているかもしれませんが、日本だって学校で着る服や行動を制限され、真心(本音)を言えずに嘘つきにさせられて笑顔を奪われているのだから、同じような状態です

我が子の学校では、ツーブロックを禁止しています
ミサイルを飛ばしている国も、ツーブロックを禁止しています
そこには、共通点があります
「偏見と抑圧が存在する、支配が常識の社会」という共通点です

支配者は自分の考え方に何も考えずに従うアンドロイドを作ろうとしています
人々に、人間らしい「自由」を認めていません
『古い支配』を信じていて、『新しい個人の自由』をわがまま・自分勝手だと思い込んでいる支配者が存在します
遺伝子の保存の仕方が動物と同じ方法である「支配」が幸せになる方法だと、支配者は信じ、支配下の人々もそれを信じる世界になっています
人間らしく進化して発達した大脳新皮質という新しい脳みそを使わない方法です
人の心を想像したり考えたりしません
支配者は、人々を考えないようにさせます
さらに支配者は、制裁によって恐怖を与えて脳みそを委縮させ、人間らしさを奪います
古いものを信じ続ける支配者は、支配を常識とする社会をつくります
「ツーブロックは禁止です」という指令を出して従わせ、人々の自由を奪います
自律ではなく他律の状態にさせます

支配者が存在すると、そのルールと違う行動は、「おかしい・変・わがまま」だと多くの人々に思われる、多様性の認められない社会となります

これを読んでくださる方も、「学校のルールを守ろうよ~」「それは禁止されているでしょ」「ルールなんだから、我慢しないとね」「ルールを守らないから叱られるのは当たり前だよ」「自分が悪いでしょ」と言われたり、自分も言っていたりしたのであれば、それは、支配者に従おうとしている状態である、ということになります
多様性のない従順他律の社会を、いつの間にか自分も作り出している状態ということです

「ツーブロックはダメだよ」
それが正しいと信じ、支配下の人々にその行動をさせる
言っていること、やっていること、心の中は、ミサイルを飛ばしている国の人々と、同じような状態になっています
存在する支配者が、「国のリーダー」か「学校の先生」かの違いです
制裁の恐怖の度合いが異なるだけです
「拘束・逮捕・刑罰」か「怒り・叱責・懲罰」かの違いです

心の中に制裁の恐怖があり、その制裁を恐れ、何も考えずにルールを守っているという点で、同じです

制裁を恐れて脳が委縮し、何も考えていない状態にさせられる人々が発する言葉は、同じ言葉です

他人から、自由を奪う言葉です

「ツーブロックはダメだってさ」「髪は黒いゴムで結ぶんだって~」
ミサイルを飛ばしている国の国民の会話と、学校の子供たちの会話は、同じような会話になります
何も考えていません
指令に従い、守ることに必死になります

古いものを信じていて、新しいものを信じていない状態です

ルールを守ることを信じていて、自分自身を信じていない状態です

なぜ、ツーブロックがダメなのか
その理由、禁止している意味を考えていません
なぜ「ツーブロックはダメだよ」と自分が発言しているのか、自分のことが分からなくなります
何も考えていない状態にさせられます
自分のことを考えない、自己理解させない状態にさせられている、ということです

「なぜツーブロックがダメなんだろう?」
「こんなルール、意味がないし、自由でいいじゃん…」
「ツーブロックはカッコいいと思うけどな~」
「ルールにしているのがおかしいよね~」
と、システムについて考えている人もいますが、制裁が怖いから、本音を目立つ場所で発言しません
支配下の人々の間では本音がささやかれています
でも、支配者に言ってもただのわがままに見られるから、目立つ場所で本音は言いません
それに、本音を目立つ場所で言うと、制裁を怖がっている他の子供達からも攻撃されます
人々の心の中に「周りと違う発言・行動をすることに対する恐怖心」がしっかりと植え付けられます
支配者の指令が通るように、支配者が支配しやすくなるように、真心を隠すようにさせられているのが、支配のある世界です

人々は、いつの間にか、違和感を持っていた思春期の自分のことを忘れます
おかしな常識の状態に慣れてしまうと、違和感を持たなくなります
違和感を忘れちゃうから、大人は子供にもルールを守らせようとします
考える脳みそを自分でうまく使えるように発達する時期、自我が発達する時期が、思春期です
子供はこの支配がおかしいと違和感を持ち、自分の思ったことや考えたことを表現しようとしているのに、大人は「思春期の反抗だ」と子供を抑えつけています
人間らしく考えて表現すると、子供は叱られます
人間らしくシステムについて考えようとして、脳みそを使おうとしているのに、それをわがままだとされます
アンドロイドを作ろうとしているのが学校だから、アンドロイドになりたくない人間を叱ります
アンドロイドをつくる場所では、アンドロイドになろうとしない人は、わがままに見えます
髪型が周りの人と違っていても、誰かに迷惑をかけることではないのに、自由な髪型は、行動や形を揃える支配者のルールが存在する社会では、わがままに見えてしまうのです

子供がわがままに見える原因の1つは、子供の未熟さにあるのだと私は考えています
表現方法の未熟さです
「苦しい」ということを言葉で論理的に表現できないから、泣いたり、怒ったり、騒いだり、乱暴な言葉を使ったりします
苦しいということをうまく伝えられず、言葉の使い方をまだ自分のものにできていない状態なのが、子供です
シンプルに言うと、動物の過程があって、人間へと進化する
その進化の途中なのが、子供です
「進化した脳みそ」を使うことができるのは、考える人間です
言葉を使い、論理的に表現できる考える人間へと進化するためには、動物の過程も必要です
進化の途中(成長途中)なのが子供だから、表現方法が未熟なのは、自然なことです
心をうまく言葉で表現できないのが、子供です
未熟なのが、子供です
子供の心を想像せず、子供の真実の姿を正しく認識しようとしないのが、考えない世界であり、学ぼうとする心のない社会です
支配のある社会では、表現方法が未熟だけども人間になろうとしている子供のことは、わがままで悪い子に見えます
怒ったり騒いだり乱暴な言葉を使うから、そう見えてしまいます
表現方法が未熟だから、「大人が子供の心を想像して心を言葉にしてあげること」「心を表現できる環境」が本当は必要です

そのためには、教育現場に大人の人手が必要なのに、人件費が確保されていません
言葉で心を表現する余裕を先生から奪うから、先生は、従わせる支配という方法がどうしても必要になってしまいます
心を言葉にするのが大人の役割なのに、先生が指令を出しているのが今の多くの学校です
心を想像してから行動するのが人間なのに、子供と向き合って話をする余裕が無いから、心を想像することをバサッと切って、行動を指示しているということです
忙しすぎるから、先生は指令を与えてしまいます
さらに上の組織からも、先生たちに向けて指令が出ています
「あれもこれもいいことだから、先生たちはその行動を子供にやらせましょう」と、学校現場を追い込んでいるから、実際のゴールが教育先進国と異なってしまいます
子供の心に寄り添い、子供に自己理解をさせることではなく、指令にある行動を子供にさせることに先生たちも必死になってしまうのだと思います

校長先生の裁量で(人件費は充てられていないど)自由な学校にすることは可能なのに、校長先生自身が、今までと違う新しいことをするのを恐れているのではないかと私は想像しています
実際に、公立中学校でも、校則をなくし、定期テストをなくし、通知表をなくしているところは存在しています
「定期テストをなくすなんて、どうやって子供は自分の実力を知るの??」と驚く方もいらっしゃるかもしれませんが、小テストは毎日行っているのです
「複数教科2か月分を一気にまとめて確認する」のと、「授業内容を理解しているかを毎日細かく確認する」のとでは、どちらが子供のためになっているのかを考えたら、正しさは見出せると思います
先生が決めたことではなく、子供たち自身が決めたことです
子供たちが自分に合ったものを自分たちで考えて話し合って決めました
「生徒会で自分たちで考えて決めていいよ」と、自主自律の教育を実際に行ってくださっている先生方は、素晴らしい行動力だと思います
子供が主人公になっています
実際、定期テストをなくしたいと先生方も考えていらしたようです
人間が考え抜くと、結局、同じようなところにたどりつくのです
教科の壁をなくし、子供の興味関心に沿ってカリキュラムを作っている公立小学校も存在します
これらは、ちゃんと国が認めていることなのです
むしろ、こちらの方が、法律に沿った教育のシステムです
現場の先生方の学びが追いついていなかったり、分かっていても先生が自分自身を信じて実際にとり入れようとする勇気がないから、多くの日本の学校で、支配は繰り返されてしまうのだと考えています

人々の心を思いやり、自分のことを理解し、自分や社会全体のためになる行動を自分で考えてできる人間を育てるのが本当の学校の姿です
ところが、人々の心を思いやらず、自分のことを理解させず、自分で考えて行動をさせていないのが、今の学校の姿です
心を言葉で表現できないままだから、自分のことが分からないままになります
自分の得意なこと、苦手なことを受け入れることができない状態のまま社会に出てしまい、自分に合っていない道に進み、苦しんでしまいます
自己理解・自己受容ができないと、自分が苦しみながら生きなくてはならないのです
自己理解ができていないことも、幸福度が下がる原因になります

『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方 人生のモヤモヤから解放される自己理解メソッド』 八木心平 著

今 Amazon で調べたら、「30万部突破」と本の帯に書かれていたから、読んでいらっしゃる方も多いのではないかと思います
私が ONF に出会った直後、やりたいことをはっきりとさせるのにとても参考になった本です
この本のタイトル通り、私はやりたいことをみつけ、新卒から続けてきた仕事を辞め、モヤモヤから解放されました
私は、自己理解ができていなかったから、自分に合っていない職業を選択し、苦しんでいたのです
こちらの著者も、「自己理解をする場が本来は学校なのに、今の学校では自己理解ができるシステムになっていない」「自分に合わないことを選択して苦しんでいる人が多い」というようなことを書いていた気がします

幸せを感じることができる子供を育てることではなく、ただ、その行動をこなす人を育ててしまっています
人間らしく考える人を育てるのではなく、指示通りに動くアンドロイドを作ってしまいます
指令通りにルールを守っている、おとなしくて何も考えていない従順な子がいい子に見えるという、支配された社会になります
そして、予算を出さない国の支配は、先生方の教育に携わる喜びを奪い、教育の質を下げています
「子供が深く考える授業になるように研究し、新しいものをとり入れよう!」
「子供の笑顔が自分の幸せです!」と思えなくなってしまいます

制裁が存在し、人々の恐怖心が部分的に働いている社会が、子供を支配している日本です
制裁が存在し、人々の恐怖心が大きな社会にまで働いているのが、国民を支配しているミサイルを飛ばしている国です

支配のシステムは、日本の学校もミサイルを飛ばしている国も、全く同じです
客観的に見ることができる外国のことは間違っていることに気付けると思うのですが、実際には、私たち日本人も同じように疑いもなくそのことを信じて守っている状態になってしまっています
それが幸せになるために必要な事だと自分で考えて判断してルールを守っているのではなく、制裁に対する恐怖心があるから何も考えずにルールを守っているということです
自分がなぜそのルールを守っているのか、考えないから、自分のことが分からなくなります

支配者のルールを守ることが常識になり、ルールを守らないと叱られます

同じです

支配者の支配する世界は、言葉で話の筋を通すことができず、不自然で歪んでいます
怒りは、原始的な感情です
怒り・叱責・懲罰によって支配者のルールを守るのが常識の社会をつくります
怒り・叱責・懲罰によって人々を従わせるという支配は、動物と同じで、古い方法です
多くの日本人は、実際に、支配者のルールを守っていない状態の子供を叱っているのだから、この支配を信じて疑わない状態でいるということです

「ツーブロックは禁止です」という同じ言葉を指令として出されていても、おかしいと思わず、違和感を持たないのですから
一生懸命、このルールを守っているのですから
支配者に従っている自分自身に、気付かないのですから
いつの間にか、自分自身も支配者になって子供を叱っているですから

「ルールを守りましょう」
「ルールを守らないと叱られますよ」

支配が常識の社会にいる状態、当たり前を疑わない自分自身は、ミサイルを飛ばしている国の国民と同じように、支配者に従順になり、ルールを守らされて他律の状態になっているということです

人間の世界は、言葉で話の筋を通すことができ、自然の流れに沿っていて素直になります

新しい脳みそには、論理的思考をする部分があります

論理的というのは、話の筋が通っている、ということです

人間とは、何か」を考え、真実をみつけることが、進化なのです

話の筋を通すのが、人間」ということです

動物と同じ方法では、人間は幸せになれません
話の筋が通らない世界では、人間は幸せになれません
考え、想像する脳みそを使うのが、人間だからです

私たちは、人間だから、幸せになるためには、話の筋が通った自由のある世界を自分たちで作り出すことが必要なのです

自由のある国、自由のある学校では、話の筋が通らないルールは存在しません

「支配者のルールを守ろうとしながら行動すると、人は幸せになれない」という真実が、考える人間によって導き出されます
考える人間は、真実をみつけます
大脳新皮質を使わない支配は動物
大脳新皮質を使う自由は人間
よく考えている著名人が言うことに感動したり納得できるということは、多くの人々も、著名人と同じように自分で考えて正しさを見出すことができている、ということだと私は思っています
多くの人々も人間だから、考える新しい脳が発達していて、自分で考えて自分で正しさを判断できる力を持っています
自分で考えて正しさを見出し、相手の心を想像して行動するのが、新しい脳みそが発達している人間らしいことであり、これが、進化した新しい人類の姿です
他の動物と異なる進化をした脳みそを使うことが、人間らしいことといえます
自由が常識の新しい人間の世界では、全ての人々が幸せにならないものは撤廃されます
つまり、支配は存在できなくなります
「心を想像し、自分で考えて正しさを見出す」
「違いを認め合い、個人の自由を保障する」
これを明文化しているのが、日本の憲法や多くの法律です

だから、信じるのは、支配者のルールを守ることではなく、自分自身です
人々の幸せを願っているのに、自分で考えて何が正しいかも分かっているのに、多くの日本人の方々は、信じているものが間違ってしまっているのです

日本は、多数派が「支配者のルールを守ることを信じている」という状態の国です
自分たち自身の社会のことを理解し、そういう自分たちのことを受け入れることが、まず重要なことになります
自己理解、自己受容です

ルールを守るという間違った常識ではなく、正しい判断ができる自分自身を信じたら、幸せになれます
大事なものを現実に大事にできます

でもね…

支配されている人が、自分自身を信じて話の筋道を立てて言葉で支配者に伝えても、伝わりません
ミサイルを飛ばしている国をイメージしたら、「無理だわ~!」と分かると思います
日本でも、子供が「ツーブロックにしたい」と言ったら、「わがまま」と思う大人がたくさんいることも想像できると思います

だから、支配されていない人が、自分自身を信じて「声」にすることが必要になります
真実をみつけて進化できた人間が、「声」にすることが必要です

人を愛し、自分自身を信じて、大切なものを大切にするのが、人間です

封建制度の薬が、学校現場に効いています

真実に気付くことで、私たちは進化できます

支配されていない親が、真実に気付いて「声」にすることが必要になります

大切な自分の子供を、実際に大切にするために

自分の家庭に幸せを引き寄せるために