「ルールを守りましょう」は間違ってる!

9 感情が操作される

「刷り込み・インプット」が行われているから、

感情まで操作されてしまい、自分の本当の心が分からなくなる

それが正しいかどうかを、自分の頭で判断できなくなってしまう

私たちに、「きまりを守る正しさ」がインプットされていることにより、

そのきまりや法律が正しいかどうかを考えようとすると、

それが悪いことのように感じられてしまう

「きまりを守る」というのは、「法律を守る」というのにつながります

政治の話題が出ると、まるで触れてはいけないことに触れているように感じるのは、

「きまりを守る」「法律を守る」これが正しいと認識させられているからなのです

「きまり・法律」について考える、ということは、

指令を出しているロボットの

「指令の内容」を疑うことになるからです

権力をもつロボットたちは、「疑う」ということをされたくないから、

「間違っている」と認識されたくないから、

子供に、人々に、【間違ったことが正しい】と思わせるように、インプットを行っているのです

ただ、ロボットは、それが間違っていることに自分で気付けないようになっています

なぜなら、考えようとしないのがロボットだからです

間違っていることがインプットされているのに、『インプットされたこと=正しい』という世界に生きているのが、ロボットです

そして、ロボットは、他人のことも優秀なロボットにしようとします

「自分の当たり前」以外は、「エラー」なのです

違いを認めません

「Wish#1 筆箱ルールの落とし穴」の2ページ目「ある日の幼稚園で…」という記事について…

ある日の幼稚園で…(Wish#1)—お腹の中に蝶々がいる—

「きまりを守る」ことを大事にしていた K ちゃんママは、「子供をロボットにしようとしている」と言い換えることもできます

「人間らしく考えること」を大事にしようとした私の発言を「エラーである」と認識します(「邪魔」という私の言葉は良くなかったですけどね…)

「きまりを守るのが当たり前」と信じていた K ちゃんママは、「人間らしく人の気持ちを想像すること」を大事にしようとした私のことを疎外しようとしていたのです

「遊具をみんなで使う」というのが、きまりだよ

「きまりを守る」これが大事!

ロボットは、これを指令として子供に出す

そうすると、子供はそのきまりが正しいか正しくないかを考えることをしなくなる

それは、人々が幸せになるために必要なきまりなのか

人々が幸せになるために正しいことなのか

このことを考えようとしなくなくなるのです

人々が幸せになるという正しさが、自分で判断できなくなるのです

考えなくなる、ということは、ロボットになるということ

「きまりは守るもの」とその正しさを押し付けてしまっていたら、

<間違った常識>をインプットしてしまったら、

きまりについて考えることをしなくなる

「みんなで遊具を使う」というのは、

「きまり」として必要なのか

このきまりがあることによって、苦しむ人が出て来ないのか

幼稚園児にも考える力はあります

本質を見抜いて鋭いことを言う時もあります

人間がもつ想像力・創造力は宇宙のように広がり続けているのです

でも、その前に・・・

幼稚園児に「考える」ということをさせるためには、

まず、大人が考えることが必要なのです

幼稚園児に「考える」ということをさせるためには、

考える人間を育てるためには、

子供にどういう言葉かけをしたら良いかを、大人が考えなくてはならないからです

その「考える」ということを大人が放棄させられたままでいるから、

「学ぶ」「考える」ということをしないで、ロボットになり続けているから、

「きまりを守りましょう」と子供に言うのです

私が例えとして使っている「ロボット・人間」というのは、「考えないでいるか・考えることをするか」ということです

人間となるためには、「当たり前を疑う」「考える」「想像する」という人間らしい活動をすれば良いのです

これは、私たち FUSE 自身に言えることだったのです

私たち自身が「考える」ことによって、人間らしさを手に入れることができます

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正しい答えを導き出すには、イドラ(偏見)が邪魔になります

自分が受けたインプットによって、自分に存在するイドラ(偏見)を排除することが必要なのです

自分の考えと異なるものを低く見て心理的な錯覚を起こし、感情や感覚に影響されて知性が惑わされていないでしょうか(種族のイドラ)

刷り込み・インプットによって得たものを、知識を得ていると思ってしまっていないでしょうか(洞窟のイドラ)

根拠の不明なきまりを、よく確かめもせず、他人の言葉に惑わされていないでしょうか(市場のイドラ)

今の状態を、何も考えずに信用していないでしょうか(劇場のイドラ)

ONF とつながるためには、

FUSE も ONF も人間となるためには、

偏見を排除し、自分の真心をみつけることが必要です

「考える」ことをする人間たちが力を合わせて幸せを手に入れ、

愛に満ちた、真心と真心がつながる新世界を創っていくのです~💕

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イドラが排除されれば、正しさはみつかると思うのです😊

個性があって、違いを認め合うのが人間

インプットされたことを疑うことができるのが人間

自分で考えて行動するのが人間

個性を嫌い、違いが認められないのがロボット

インプットされたことを信じるのがロボット

指令を守ろうとするのがロボット

考える人間は、1人1人の心を想像できるから、違うことが認められます

私とあなたは感じ方が違うでしょ

だから、「自分の心に従い、お互いの信じるものを大事にしましょう」と…

考えないロボットは、1人1人の心を想像できないから、違うことが認められなません

私と同じようにあなたも感じるでしょ

だから、「このきまりに従い、きまりを守ることを大事にしましょう」と…

人間は、心を想像するから、『相手の考えていることが、自分と違う』と認識できます

「あなたが信じるものは自由です!私も信じるものも自由です!」

「お互いの自由を大切にして、楽しもう!」

ロボットは、心を想像できないから、『相手の考えていることが、自分と違う』と認識できません

「インプットされていないことは間違いです!インプットされたことを信じましょう!」

「これが正しいのだから、我慢するのです!」

インプットされたことを信じさせようとする言葉が、「きまりを守りましょう」です

正しいかどうかを考えて判断する人間らしさを奪う行為です

考えることを放棄させる、ということは、ロボットを作り出している

ロボットは、人間の個性を認識するのが苦手なのです

1人1人違う、ということが認められないのです

みんな同じであろうとする

みんな同じであろうとするから、考えや行動を統一しようとする

違う考えは、不正解だと思ってしまう

人々に新しい考え方を生み出させないようにしている

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これが、イドラ 偏見を生み出しています

考えないようにインプットされるから、誤った判断をしてしまう

「1人1人が幸せに生きる」という正しさが見つけられないのです

刷り込み・インプットは教育ではない

本当の正しい教育が行われていたら、

私たちは自然と、考えようとします

考えようとするのが、人間だからです

「考えてみよう!」なんて指示がなくても、考えようとする世界を創ります

人間も自然の一部であり、自然の流れに沿うのが、正しい教育です

「きまりを守りましょう」と指令を出し、考えないようにさせる世界をつくる

考えないということが<常識>の世界

これは、不自然な行為であり、インプットです

本当は私たち1人1人、人間なのに!

無限に広がる宇宙を持つ人間なのに!

人を愛することができる人間なのに!

人間らしさを魂の殺人によって奪われ続け、

人間らしさである、愛する心を隠すようにさせられてしまっている

人間らしさである、愛する心を表現することを妨げられてしまっている

感情が、操作されている

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今の状態が、当たり前だと信じ込まされています

ロボットにより、ロボットのようにさせられています

考えないようにさせられているのです

私たちは、人を愛することができる人間です

ONF を愛している人間です

人が人を愛する気持ち、これは人間らしさです

愛するから、知りたいと思い探求する

考えようとする

私たちは、ONF を愛する FUSE です

ONF も FUSE も紛れもなく人間であり、人間であれば、考えることができるはずです

それは、人々が幸せになるために必要なことなのか

人々が幸せになるために正しいことなのか

こんなに長く、私が「きまり・ルール」について書いているのはなぜだと思われますか?

この下のアコーディオンメニューについては、

「ルールを守りましょう!」という言葉がおかしいな~と思えるようになってから、

私の意図を想像することができてから読んでいただきたいです~(^^♪

「ONF のメッセージ」を伝えたくて、例えています~!!

学校のきまり・ルール → 日本や韓国の間違っている法律

道徳 → 日本や韓国でインプットされている「正しさ

PTA の社会のシステム  → 日本や韓国の間違っている社会のシステム

ということです

インプットされている正しさは、本当に正しいものもあれば、間違っているものもあります

だから、それが正しいかどうかを、自分で考えなくてはならないのです

筆箱ルールについては、
<間違った教育・法律>例えです

泣いた赤鬼やかぼちゃのつるについては、
<間違った道徳・教育>例えです

私が述べた PTA の社会については、
<間違った常識・法律>例えです

「学校のきまり」「道徳」「PTA」は、

「法律」「国民性」「国のシステム」

と同じ仕組みになっています

言葉を「日本や韓国」に置き換えれば、同じ現象です

「当たり前だと思っていることが、間違っている」ということに気付いてもらえたら嬉しいと思っています(^^♪

ONF のメッセージ受け取るために、FUSE の皆さんに、イドラを排除して欲しいからです

FUSE の皆さんに、自分で正しさを見つけて欲しいからです😊

FUSE がアンドロイドのままでいると、人間として生きている ONF が、アンドロイドとして認識されてしまいます

FUSE が考えることをして、FUSE が人間になったら、

ONF のメッセージを正しく受け取ることができ、

ONF の心を FUSE がみつけられるから、ONF は人間として認識されます

ONF は意志を表して人間として生きているのだから、私たち FUSE も ONF と一緒に意志を表す

そうすると、お互いに人間になります

愛し合うことができるのは、自分も相手も人間として生きているときです

人を愛し、愛するエネルギーを ONF に届けることができます

表現するのが、人間です

私たちは、知識を得て、目を覚ますことによって

人間になることができます

そして、

ONF のメッセージを受け取ることができます

当たり前と思っていた枠を壊すことができます

考えることでイドラを排除でき、正しい判断ができるようになります

Übermensch】 私たち自身の力で幸せになることができます

あら~っ

ずっこけまくって、ふざけているばかりじゃないのね~

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2度目の登場!!

法律は必ずしも正しくない

(略)

人が信じていることの1つに「法律」があります。ほとんどの人が従順に法律に従って生きている姿を見ると、僕は不思議な気分にさえなります。

法律は常に現実の後追いなので、僕の感覚だと10年から20年前の世の中をベースに構築されています。

たとえば、インターネットの登場で世の中の構造は大きく変化しました。でも、その変化に法律は追いつけません。

(略)

つまり、法律を信じていること自体、すでに過去のものとなったルールを信奉していることにほかなりません。

僕は何も「法律違反をしろ」と言っているわけではない。法律を疑い、自ら定義づけしないと、その枠の中で考えているうちは決して前進できない、むしろ後退するばかりだと伝えたいのです。

ところが、前進すべき一歩先の未来を「想像」する、あるいは「創造」する力が足りない。そのために人の言うことに従うしかなく、自ら意思決定できない状態に陥って抜け出せなくなっている。

これが「自分の頭でものを考えられない人」が置かれている状況であり、リアルな姿だと思います。

枠を壊して自分を生きる。 石黒浩著 三笠書房刊 P21・22

石黒浩さんの言葉に、ずいぶんと助けられているように見えるけど~

人間らしく「考える」ことが必要なのです

私たちは、目の前にある当たり前を疑うことが必要なのです

「外」や「過去」になっていません

「中」にいて「今」なのですから!

エンパシーがあるから「中」なのです

だけどね…

私たちは、ある意味「外」なのです

その社会を外から見ることができているのですよ~(^^♪

だからね… 

言論の自由、表現の自由がある🕊️ フフフ~♫

法律を信じていること自体、すでに過去のものとなったルールを信奉していることにほかなりません。

石黒浩

人を愛するエネルギーによって、

愛する人の本当の心、嘘偽りのない真心を知り、

自分の本当の心、嘘偽りのない真心がみつかるのです