06 支配者—Wish#1の修正・追記—
エス
自分の中には、自分でもよく分からないエスという情動が存在します
どんな情動が自分に強く存在しているかは、運です
運なのですが…
多数の世代が努力してきたという事実も必要な要素であると思います
そういう情動を持って生まれた自分のことを知り、目を背けずに自分自身のことを受け入れることが、幸福への第一歩ではないかと私は考えています
残酷です
私たちは、この残酷さと向き合う強い精神を持ち合わせることが必要なのです
自分から目を背けるようにさせているのが、宗教や道徳ってことだね~
自分を突き動かす「エス」は、人類の魂です
私たちの身体は、多数の魂の共同体
自分の中の「ある情動」が命令を下し、「別の情動」がその命令に服従される
過去の人類が欲したもの、古き貴き〈われ〉が欲したものが、〈それ〉として自分自身の中に存在しています
エスというのは、自分にはよく分からないものなんだけど、本能として自分の中に存在しています
ユング心理学のことを書いた時に、「小人さんたち」としてエスの例を挙げました
このエスを支配するのは、自分自身です
自分の中に存在する情動である「命令する小人」が「服従する小人」を支配するわけなのです
「支配」という言葉に、良い印象を持たない方が多いのではないかと想像しています
私自身、「他人を支配することは良くないことである」と考えていました
ニーチェのすごいところは、「支配欲が必要なものである」と考えたことなのです
「憎悪、嫉妬、所有欲、支配欲などの情動が、生に必要な情動であり、生を高揚させるためには、こうした情動をさらに高める必要がある」というのが、ニーチェの説なのです
「支配は必要なことだ」というこの部分だけを切り取って、政治に悪用された歴史もあります
ニーチェの思想が危険だ、とされることがあるのは、常識をひっくり返すようなものだからです
過去の人類の魂が、私たちの身体の中で生きている
自分の中にいる小人さん達は、人類の社会と同じような「位相」をもつ
「位相」というのは、「集合体の構造」ということなのだと私は考えています
自分にもよく分からない、自分を突き動かすものは、多数の魂です
自分を動かそうとするのは、人類の魂、動物の本能です
人類は何十万年もの間、支配する人(命令する者)と、支配される人(従属する者)が存在しました
協働の社会を作り上げ、成長する喜びを感じ、お互いに快感を得ていました
命令する者は、人類を高みへと成長させるために、多数の人々に命令します
従属する者は、道具となり、命令する者の欲を実現させるために働きます
人類の社会と同様の「位相」が、【自分の内面】に存在している
自分の内面にいる小人さん達は、多数の魂です
過去の人類の魂、動物的な本能が存在しています
私たちの身体が、多数の魂の共同体
さらに、この位相では、自己を保存するだけでなく、それを強化し、活気づける力が働きます
自分の力を増大しようとする意志、自分の「欲」を実現させようとする意志です
それが、『力への意志』
命令する者が文化を牽引するために人々に命令し、従属する者がその命令に従って働くことで、協働の社会を作ってきました
命令する者の欲は「秩序をみつけ、より良い状態を手に入れたい」
従属する者の欲は「命令者の秩序を守り、良い状態を維持したい」
自分の欲を成就させることによって、快感を得ていたのです
命令・服従というと、上下関係のように感じられる方もいると思うのですが、ここでの命令・服従は、「運命づけられている役割」と言い換えられるのではないかと私は考えています
「人間」という類型を高めることが貴族的な社会の仕事です
貴族的な社会は、ある意味で奴隷を必要とします
『命令する者と服従する者が存在することで「人間」という類型が高まっていく』というのが貴族的な社会です
私なりに解釈すると…
「自分の快感は、命令することである」と命令する者が「位相」における自分の位置を理解して受け入れ、力を増大させようとすることで、文化は発展します
命令する者は、快感を得るために自然と努力している行為が、結果として支配者の立場になっています
「自分の快感は、従属することである」と従属する者が「位相」における自分の位置を理解して受け入れ、力を増大させようとすることで、文化は発展します
従属する者は、快感を得るために自然と努力している行為が、結果として奴隷の立場になっています
要するに、
自分の「欲(情動)」を知ること【自己理解】
「位相」における自分の位置を受け入れること【自己受容】
が必要なのです
快感
快感というのは…
食べたいと思って努力し、実際に食べることができたら快感
人の役に立ちたいと思って努力し、実際に役に立つことができたら快感
自分が〇〇したいと思って努力し、実際に成就できたら快感
私たちは、自分の欲したものを実際に手にして快感を得るために、自然と努力するわけです
命令する者の欲は「秩序をみつけ、良い状態を手に入れたい」
従属する者の欲は「命令者の秩序を守り、良い状態を維持したい」
命令者は、他人を支配することで快感を得ていたのです
従属者は、支配者に従うことで快感を得ていたのです
位相
同様の「位相」が、自分の内面に存在します
自分の内面に「命令する情動」と「従属する情動」が存在します
「命令する情動」「従属する情動」が、人によって異なる
内面にある情動のうち、どの情動が命令を下そうとしているのか、人によって支配者が異なるのです
内面にある「強い情動」が人によって違います
この「強い情動」が自分の支配者となることで、快感を得られます
この内面の違いが、また巡り巡って、自分の外側である現在の人間社会の「位相」を生み出します
この感じ方(情動)は、自分ではどうにもできないことです
エスが欲し、エスがそう感じるからです
そう欲するように、そう感じるように、その人自身に運命づけられているからです
自分自身を知り、自分の能力を受け入れる
自己理解・自己受容をして…
現にあるところのものになる
ニーチェ
自分の身体には、人類の多数の魂が存在しているんだよ!
自分を理解し、自分を受け入れ、自然なままの自分自身を大事にしよう!
「位相」における自分の位置で力への意志を増大させることが、生きるってことだよ!
「自分の内面の宇宙」
「支配と服従の関係」
「人間社会の位相」
これらが自分にストンと落とし込めたことで、ニーチェが伝えようとしていたことの中心部分に近づけたような気がしました
〔…〕意志する者は、みずからを命令する者として快感を覚えながら、一方では同時に、行為を逐行し成功を収める道具であり奉仕するものである「下位の意志」あるいは下位の魂—わたしたちの身体は、多数の魂の共同体にすぎない—の快感も享受するのである。結果とは、わたしが作ったものだ(レフェ・セ・モア)。ここでは巧みに構築された幸福な共同体で起こるのと同じことが起きている。統治する階級が、その共同体の〔行動の〕成果と同一化しているのだ。あらゆる〈意志すること〉において重要なのは、(すでに指摘したように)多数の「魂」の共同体を土台として、命令を下すこと、そしてその命令が服従されることである。だからこそ哲学者には、意志するという行為を、道徳という観点から捉える権利があるというものだ。ここで道徳とは、支配階級の理論として理解する必要がある。そこからこそ「生」の現象が生まれるのである。
善悪の彼岸/ニーチェ
自分の内面に、命令する者と服従する者がいる
命令する者と服従する者、それぞれが快感を得る、幸福な共同体
私たちの幸福感は、内面から自然と湧き上がってくるものです
自分の中に存在する「強い情動」が欲するものを、実際に手に入れることで、快感を得る
欲したものを実際に手にして快感を得ようと努力する意志が、『力への意志』
「情動」を支配しているのは、自分自身なのです
内面に軸となる支配者(情動)と、それに従って働く従属者(情動)がいることで、私たちは文化を発展させることができます
自分の内側の宇宙が、豊かになります
自分の外側の人間社会が、豊かになります
つまり、
自分の内面も、自分の外側も、幸福な協働社会がつくられるのです
01 はじめに…
02『読書について』
03『世界は「関係」でできている』
04 自由という恐怖—Wish#1の修正・追記—
05 自然!!—Wish#1の修正・追記—
06 支配者—Wish#1の修正・追記—
07 ハンマーで哲学する