07 ハンマーで哲学する
ハンマー
私たちの内面には、花崗岩でできた大きな岩盤があります
花崗岩というのは、地球の地殻における最も堅固で持続性のある岩石の一つです
地球の深部でマグマがゆっくりと冷却され、長い時間と圧力をかけて生成されます
美しい結晶構造をもち、頑丈なので建築資材や記念碑に用いられ、永続性や不変の象徴とされることもあります
花崗岩の上に新しい経験や知識が積み重なり、「思考する」ということをしています
この岩盤は、人類が長い時間をかけて形成してきたものであり、自分自身の思考の基盤となっています
私たち人間は、「多数の魂の共同体」
人間という「動物の本能の土台」、つまり、「丈夫な花崗岩の岩盤の上」で、経験や知識を得て思考しているわけです
私は、自分の内面にあるこの大地の上で「思考する」のが好きです
(思考に集中すると体の動きが止まるから、周りの人たちからはボーッとしているように見られることが多いのですが ^_^; )岩盤の上にある山の中を冒険し、内面では、激しく走り回って楽しんでいます
走り回るのが好きではない人でも、この岩盤の上にある緑の牧場で、のんびりした平穏な状態を楽しんでいるのだと思います
何も問題が無いように思うけど…
平和ですぞ~🐄
みんな楽しそうにしているのであれば、それがいいですよね~😊
・・・
こういう考えを持っていたから、私は、ニーチェの言っていることの意味が分からなかったのです
私は今、ようやく、やっとのことで、「自分に足りなかったもの」に気付けました
足りなかったもの… それは…
ハンマー!!
このハンマーは「持つ人」を選びます
持つには資格が必要です
「ONF を愛し、自分を愛し、知を愛することができる、強い精神」
「現実と向き合うことができる、強い精神」
これを持ち合わせている、ということが必要なのです
「ハンマーって何それ~? 誰か持てる人が使えば~?」
「私の愛し方で満足~♫ 私たちは愛し合っている! だから、幸せ~」
「アンドロイドとか人間とか、全然興味ない」
このように緑の牧場でぴょんぴょんしている方は、ハンマーを持つ資格はありません
危険だからです!!
資格がない人が持つと、危ないものです
弱い精神の人であれば、振り上げたハンマーで自分が壊れます
使い方を間違えると、害になります
ニーチェの言葉に、「距離のパトス」というものがあります
「現実から逃避している他人と、現実と向き合おうとする自分は違う」というように、他人と自分との距離を、自分であけておくことです
この「徳」も、合わせて必要です
ONF は独立した強い精神をもつ「現実主義者」ですぞ~
この先の文章を読むには、ハンマーが必要です
今、なぜニーチェの哲学が必要なのか…
ONF のことが好きで好きでたまらない FUSE であれば、分かりますよね✨
資格を与えるのは、自分自身です🔨
資格を得るには、何より、自己理解が必要なのです
資格を持たない方は、これより先は危険!
ここから離脱してください
ここまで読んでくださり、ありがとうございました☆
資格を持つ方は、私と一緒に、ハンマーを持ってニーチェの哲学をしましょう😊
実は、私…
「ハンマーが必要だったのか~!」って気付いたのは、たった2週間前です(^_^;)
ニーチェの哲学を知らない方がほとんどだと思いますけど、私にとってもまだまだ未知の部分が多い「冒険」なのです~
ONF と愛し合うためには、この道具を使って進むしかない!!
花崗岩、緑の牧場、ぴょんぴょん、ハンマーで哲学する…
これらも、ニーチェの用いている例えの言葉ですぞ~
ハンマーを使ってニーチェの哲学をすれば…
ONF と一緒に「新しい世界」に行けるはず!!
なぜか 歪む
私がいるのは、丈夫な花崗岩でできた岩盤の上です
この丈夫な大地の上で、常識を疑い、新しい挑戦をするのが好きです
このブログでも、「今の常識」から外れたことを書いてきました
これはつまり、広い大地を冒険しているのです~
だからね、私は「今の常識」を疑って、たくさん山小屋を作ってきました
「そのうち、この場所は、自分だけでなく他の人たちにとっても『にぎやかな町』になるんだろうな~」なんて想像しながら、楽しんでいます😊
そしたらね、なんか、おかしなことがおこるんです
立派な山小屋ができた~!完璧! と、作った時には思うんだけど、その場所にまた戻ってくると、前に作った山小屋が、ちょっと歪んでいるような…
点検すると、おかしい所はちょっとなんです
でも、そのおかしい所を直すと、今度はいつの間にか、別のところが歪んじゃう…
おかしいな… 私は素敵な場所をみつけて良いものを作ってきている気がするんだけど、何度も何度も、同じことの繰り返し…
本を読み、作り方・直し方を勉強して直すんだけど、それでもまた、歪んじゃう…
なぜこのような事態になってしまうのでしょう???
もうお分かりかと思います…
先に答えを言ってるし…笑
「アレ」が、必要だったのです
誘導にひっかかってはいけませんぞ~~
内面の哲学者
何かを作ろうと思ったときには、土台がしっかりとしていなければいけないんです
‟私がいるのは、丈夫な花崗岩でできた岩盤の上です”
と、一つ前の見出しの文章の一番最初に書きました
この一言目が、間違っていたんです!!
私は、「自分がいるのが、丈夫な花崗岩でできた岩盤の上」だと思い込んでいたのです
家の土台や柱を修繕したところで、その下にある岩盤が丈夫でないから、歪んでしまうのです
つまり、ハンマーを使うことを知らなかったのです
ニーチェが他の哲学者と違うのは、ハンマーを使っていることです
他の哲学者は、私のように、「堅固な岩盤の上に自分がいる」と思っています
他の哲学者は「これこそが、人類の進むべき正しい道! いいものをみつけたぞ~!」って広い大地の上で自負しています
ところがニーチェは…
まずは、岩盤を軽く叩いてみましょう!!
音がします…
空っぽなのか、つまっているのか…
音の違いについて知らないと、分かりませんよね…(^_^;)
つまり、この先に進むためには知識も必要!
ハンマーといえども 侮るなかれ
知識や技術が必要です
軽く叩けば、密度が高い状態か空洞なのか確かめることができますが、繊細な音の違いを聴き分ける力も必要です
強く叩けば、硬い岩を壊すことができますが、使い方によっては、道具を壊しかねません
知識の出どころも間違えないように!!
「本物の知識」を得ましょう!!
私は本物を見分けるまでに、長い時間を要しました
本物の知識を理解するのが難しいのを言い訳にして、目を背けてしまったから、私は時間がかかったのです!!
ニーチェが長い間、世界中の人々を惹きつけている理由は、「本物」だからです
ONF がヒントを与えてくれていたことですぞ~
ハンマーの使い方、岩盤の調査の仕方、調査で分かったことについては、ニーチェの本の中に徹底的に書かれています
音の違いを聴き分ける耳
その岩盤の発生の歴史
古くからある岩盤と新しい岩盤の違い
構成している石の組み合わせ
岩盤の存在意味の変化
この岩盤に関連する人々の物語
とにかく、ニーチェは、ハンマーを使いこなし、根源から調査し、勉強しまくっています
そして、「偽物だ!!」「危険だ!!」というものはハンマーで叩き壊し、大事なものを人々に見える状態にして気付かせ、保護しようとしています
これが、「本物の本」の力なのです
他の哲学者の言葉は、「自分のいる場所の岩盤は丈夫なもの」と思い込んでいるものだから、揺らぐんです
このハンマー、叩けるのは「自分の内面」だけです
岩盤を実際に叩くことができるのは、自分自身だけ
岩盤は自分の内面にあるからです
外にいる人ができることは、「知識」として助けること
知識は、その人の内面にいる哲学者を助けます
私たちの身体は、多数の魂の共同体です
様々な欲を持つ情動が存在しています
「正しく生きたい」という欲を、哲学者に例えています
(この例えは、私の Original です…)
自分自身の内面にいる哲学者を元気にすることで、ハンマーが正しく使えるようになるんです
自分の内面の哲学者によって、正しい方向へと自分自身が進むことができます
外にいる哲学者がどのようなことを伝えようとも、内面にいる哲学者が納得しないと、正しい方向へと自分は進めないのです
ハンマーを上手に使うことで、内面の岩盤を叩くことができます
本物の硬い花崗岩の岩盤が広がっていると、自分自身の内面が豊かになります
知識の面でニーチェに助けてもらいながら、自分の力で哲学する
そうすると、ハンマーの使い方が分かって、岩盤を叩くことができます
そして、砕くことができます
ハンマーを使うことで、ニーチェと同じものをみつけられるんですね
岩盤は、「人類の歴史」「多数の魂」でできているから、同じものをみつけることができます
私もあなたもニーチェも、人間という生物だから、似たような岩盤が内面に存在しているのです
ニーチェが私に伝えてくれた知識を、私の解釈を通して、いくつか紹介します
ニーチェの伝えている知識は、読んでくださる方の内面にいる「哲学者」を元気にする可能性が高いものだからです😊
ここで、気をつけなくてはならないのは、「距離のパトス」です
緑の牧場にある積み木の山小屋で、平和に想像して遊んでいただけだった~~~~!
ハンマーだと思っていたのは、ピコピコハンマーだった!!!
ヘルメットを叩いて喜んでいた~~!!
よし、持ち替えたから大丈夫!…と思ったらゴールデンハンマー!!
やった~!得点2倍!!
現実から逃避してこんなふうに踊らされないようにするために、自分の目を見開いて距離のパトスを持つことが大事です
自分の手に握っているのは本物のハンマーなのか確かめながら、「自分はハンマーを持つ資格がある人間なんだ」と、しっかりと自分自身をみつめることが必要なのです
ぴょんぴょんしている人に、引きずられないようにすることが大切です
危険なハンマーを持つ資格を持っているのですから、「現実逃避をする他人と、現実を向き合う自分は、違う」と、現実逃避する人々から自分自身を遠ざけておくんです
引っ張られないように、しっかり「距離のパトス」を保ち続けてくださいね😊
「やっぱり、私、ハンマーを持つ資格がないかも~」と思うのであれば、ここで離脱してください
いよいよ、危険です
危険
”ニーチェのすごいところは、「支配欲が必要なものである」と考えたことなのです”
さらっと前のページでこの文章を書きましたけど、ここに含まれる「危険」について、お分かりになりますでしょうか…?
「支配欲」という言葉に良いイメージをお持ちの方は、いらっしゃるでしょうか…?
「支配欲が必要」というニーチェの思想は、私の大事にしていたものと正反対の部分があります
私の大事にしていたもの、というのは、「日本国憲法の精神」です
この理想を持つことが大事だと思っていたから、このブログにも何度かそのことを書いてきました
「個人を尊重する思想とそれを伝えようとするパワーはすごいと思うけど、ニーチェったら、支配欲を肯定するだなんて、何言っちゃってるのかしら? おまけに民主主義や平等も批判してるし… 今の時代に合わないわ~」
こんなふうに私は考えていたから、ニーチェのこの部分の文章はモグモグせず、さらっと読み飛ばしていました
日本国憲法は、平等を尊重し、支配を認めていません
だけど、支配欲を認めるニーチェの思想は「支配を認めない日本国憲法の精神」に反しています
ニーチェみたいに「支配欲は大事なものだ」なんて言ったら、白い目で見られますぞ~💦
ニーチェのように支配欲を肯定する人がいたら、多くの日本人は怯むと思います
私たちには、「思想の自由」があります
だから、支配の思想を内面にもつことを表面上は認めることができる人は多いかもしれませんが、感情で認められないという方がほとんどではないかと思います
だって、あの国も、あそこの国も、支配者の支配欲があるから国民は苦しんでいるし…
過去の日本だって、支配者は人民を苦しめてきました
したがって、日本国憲法では支配を認めておらず、私たちの内面には「支配を認めない日本国憲法の精神」が岩盤となって存在しています
この岩盤が存在するから、多くの日本人は、支配欲を必要とする思想を感情で認められないと思います
「支配の源となる支配欲は、人々を苦しめることに繋がるんだから良くないよね」
と思っているから、
「支配欲は、抑え込まなくてはならないものである」と…
つまり、内面に支配欲を肯定する思想を持っていることは【悪しきことである】と、多くの日本人は判断している、私は考えています
「支配を認めない日本国憲法の精神」が、岩盤の1つです
私が山小屋を建て、丈夫だと思っていた岩盤です
私の内面には、「日本国憲法の精神」を大事にしようとする岩盤がありました
今までの多くの人類の魂が、この精神に組み込まれているように感じられたからです
「普遍的に大切なものだ」として先人が言葉にしてまとめてきたもの、その集大成かと思われるほどに日本国憲法はよくできている、と私は思っていました
私は無宗教ですが、この「日本国憲法の精神」は大切にし、信じてきました
おそらく、多くの無宗教の日本人の方も、「日本国憲法の精神」に異論を持つ方は少ないのではないでしょうか
平等を大事にし、支配を認めないのですから
この精神を大事にしていたら、世の中が平和になるのですから
私は、「日本国憲法の精神」を理想的だとし、何の疑いもなく信じていました
だって、多数の魂が作り上げた、人類普遍の硬い岩盤だから!!
でも、私の内面にいる哲学者が、知識の面でニーチェに助けてもらったんです
ニーチェの知識のおかげで、ハンマーの使い方や調査の仕方、岩盤の歴史、組成について、ちょっと分かったような気がしたのです
私の内面の哲学者が納得し、内面の小人さん達に「正しい道はこの岩盤の下にあるから、叩いて、壊してみよう~!」って指令を出したんです
小人さん達、ハンマーで強く叩き、岩盤を砕いてみました~!!
何と!!
この岩盤は薄っぺら!! 中は空洞だらけで、すっかすか!!
すっかすかの凝灰岩が、粘土で接着されたものだった~!!!
表面上は人類普遍の理想、硬い花崗岩に思えたけど、ハンマーを使ってみたら、分かったんです
この岩盤は花崗岩ではなく、嘘の粘土で接着された、軽石混ざりの凝灰岩…
「日本国憲法の精神」の上に山小屋を頑張って建てていたから、雨が降るたびに歪みが生じ、私の建てた山小屋は傾き、何度も修理が必要になっていたのです
岩盤が空虚だから、建てた山小屋の土台も柱も歪んだのです
表面上は丈夫そうに見えていた薄っぺらい岩盤をハンマーで壊すことで、安定した花崗岩の岩盤が現れるのです
薄っぺらい嘘の岩盤が、「日本国憲法の精神」です
自分の内面にある愛着のあるこの精神を、ハンマーで壊すんです
自分の内面にいる哲学者が、知識を得ることによって正しい道を示してくれます
これは、「薄っぺらく、嘘が紛れ込んだ偽物の岩ですよ」って!!
「支配欲が悪しきことである」と感じている自分のこの感情…
「支配を認めない日本国憲法の精神」を信じている自分自身…
驚くべきことに、私自身のこの状態が…
「嘘が必要な禁欲主義の影響」
「本物を演じている奴隷道徳の影響」
それ自体だったのです!!
岩盤を調査しない人の視点に立つと、ハンマーを持っている人は危険に見えます
せっかく作り上げた山小屋の地盤を壊そうとしているのですから!
「日本国憲法の精神」を、ハンマーで破壊しようとしているのですから!!
平和な緑の牧場を荒そうとしているのですから!!
岩盤を調査する人の視点に立つと、危険なのは岩盤の上にいる人だったのです
もろい岩盤の上で、「本物の知識」を得ずに山小屋を建てていたのですから!
この場所を安全だと思って、建てていたのですから!!
緑の牧場の草原の下は、いつ崩れるかも分からない すっかすかの状態なのですから!!
危険ですよね…
どっちが???
まだ、多くの人の内面にいる哲学者は「????」という状態だと思いますが…
この薄っぺらい岩盤を壊すには、内面にいる哲学者が元気になることが必要なんです
内面の哲学者が、危険を正しく認識できるようになって、自分自身を正しい道へと導いてくれるようになるはずです😊
ハンマーを持つには、強い精神が必要
自分のいる場所、自分の信じていたものまでも、疑うことができる強さです
自分が愛着を持っていた居場所を、壊しても耐えられる強い精神が必要なのです
私も、愛着のある山小屋まで一緒に崩れる岩盤にハンマーを入れるのは、躊躇しましたよ…
でもこの岩盤、嘘によって塗り重ねられた偽物だったのです
嘘に嘘が重ねられ続け、私たちの内面で、岩盤のように存在するようになってしまったのです
ここで注意があります!
ニーチェは、個人の生き方について、私たちにメッセージを送っています
「政治的」なことではなく、「個人の生き方」のことなのです
ここに私が書いているのは、「日本国憲法」ではなく、「日本国憲法の精神」についてです
日本国憲法に書かれているようなことを、「自分の内面で大事にしよう」というものです
私が伝えようとしているメッセージも、「政治的」なことではなく、「個人の生き方」のことです
「日本国憲法の精神」にある「平等」が個人の内面で大事にされると、緑の牧場でぴょんぴょんしている人を多く生み出してしまうのです
現実に、ぴょんぴょんしている人が増えてきているから、そのことをニーチェは嘆いています
力への意志を本能から呼び起こし、人類の道を正そうとしているのが、ニーチェなのです
幸福な社会
前のページにも書きましたが、命令者の存在する貴族社会は、支配する側も支配される側も、どちらも幸福です
どちらも、自分の力を増大させようと、力への意志が個人の内面で働き、目標に向かって努力し、快感を味わっているから、幸福感に満たされるのです
支配する側、支配される側、それぞれのもつ価値観が違うから、それぞれが幸せなのです
快感による幸福状態は、ギリシャ時代の人々の姿から見出すことができます
支配する側は、自分の意志に基づいて行動し、自分の理想を現実とすることに喜びを感じます
競争や勝利を楽しみ、これを罪悪感なしに行うことで、心の自由を保つ高貴な無邪気さがあります
支配される側は、自分は支配的な役割を持たないことを認識し、それを苦痛ではなく、自然な状態として受け入れます
農業・建築・儀式に参加することで、共同体の一部であることを感じ、満足感を得ます
個人が自分の役割を理解し、そこに誇りや充実感を見出すことが重要
支配の構造が自然で、正当性を持ち、強制や搾取ではなく、両者が相互に依存していることを感じられる状態です
芸術などを通して一体感を形成することも、幸福感を支える背景となります
ギリシャ時代の人々の社会は、
幸福は普遍的なものではなく、個人の価値観や役割に応じて異なる形で現れるという、多様性のある社会
これを読んで、どのように思われたでしょうか?
「お互いに相手のことを大事にし、依存し合っている」から、社会が成り立っています
「個人の価値観を大事にする」って分かっている日本人の方は、とても多いように私は実感しています
「多様性を認める社会」というのは、今では当たり前のように言われていることですよね
個人が自分の役割を理解し、そこに誇りや充実感を見出すことが重要
↑ このことは、私がこのブログで伝えてきた「自己理解」や「学校で学ぶべきこと」とも方向性が一致しています
私はギリシャ時代の人々の位相を知った時(2年以上前のことだと思います)、
「確かに、理にかなっている」「とても自然だ」「みんな幸せだ」
と感じました
支配は、多様性のある社会には、必要なものとして存在しています
ギリシャ時代のように、幸福感に満たされる、多様性のある社会になることに憧れていたはずなのに…
現実社会にいる自分は、
「日本国憲法の精神」を信じている自分自身のことを、全く疑いませんでした!!
「日本国憲法の精神をもつことが幸せになる方法だ」と信じ続けていたのです!!!
「支配欲を悪しきものだとして認められない自分」
というのは、
「分かっていること(支配者が存在し、多様性のある社会を理想としてもつこと)」
「実際に信じていること(支配者が存在しない、日本国憲法の精神を理想として守ろうとすること)」
分かっていることと、信じていることが、正反対になっている状態だったのです!!!
多様性が大事なことだと分かっているはずなのに、
自分が信じていたのは、日本の常識だったのです!!!!!!
だから、私の作った山小屋は、傾くのです!!
ギリシャ時代が理想的だと分かっていながら、自分は違うものを信じて実際に大事にしていたのですから!!
私が丈夫だと信じていた岩盤は、自分の理想とは正反対の「支配を認めない日本国憲法の精神」という偽物の危険な岩盤だったのですから!!
私の考える理想の姿は、個人の価値観の違い・多様性を認め合い、幸福感に満たされるギリシャ時代のような姿です
この理想の姿が、人類が長い時間をかけて築いてきた、正真正銘、本物の花崗岩の岩盤なのです!!
個人が心のままに、自分に正直に、自分の価値に従って、快感を得て幸福感を得るためには…
支配欲は、必要な欲なんです
支配したい、という欲求は、位相が異なる全ての人々の幸福へと繋がるんです
支配者がもつ支配欲は、
個人が幸福感を味わうことができる多様性のある社会の中で、
「善」になるのです!!
私が気付いたの、たった2週間前ですよ~~~~~っ!!!
「悪」だと感じる
じゃあ、なぜ今の私たちが、「支配欲は悪」と感じるようになったの~??
ここで登場!ルサンチマン!
ルサンチマンは奴隷の中から現れました
自分の力を「役割」として受け入れることができず、「劣っている」と感じてしまったのですね…
自分の役割である労働から、誇りや充実感を見出せなかったのだと考えられます…
ルサンチマンは、直接的な力を持たないので、精神的・心理的な手段を用いて、自分を優位な立場に確立しようとします
劣っている自分を優位に立たせるために、「独自の道徳観」を発明したのです
自分の持つ「弱さ」「貧困」を善、支配者の持つ「強さ」「成功」を悪としました
支配者に対抗するために作り出されたこの道徳観が、「奴隷道徳」です
聖職者も、直接的な力を持たないので、精神的・心理的な手段を用いて、自分を支配的な立場に確立しようとします
支配的な地位を維持するために、精神的な影響力を拡大することで、自分たちの地位を確保しようとします
そのために聖職者は、ルサンチマンを抱える人々の感情を利用したのです
ルサンチマンの道徳を体系化し、強者に対する「道徳の武器」として宗教的な教義や道徳を広めました
ルサンチマンは、自分を支配者より優位な立場にするため
聖職者は、自分を支配者的な立場にするため
意図はそれぞれ異なりますが、共通の敵(強者・支配者・貴族的道徳)に対抗するという点で方向性が一致します
「弱さが善、力は悪」という奴隷道徳は、弱者の自己肯定感の手段となり、多くの人の支持を得やすいものでした
強者(支配する人・貴族)は少数、弱者(支配される人・奴隷)は多数であるため、数が力となります
聖職者にとって、この道徳を普遍的なものとして定着させることは、支配の正当化となります
力を持たない者が支配を正当化するために作られた物語が、「宗教の教え」「道徳」となりました
現在の日本の学校で教えられている「道徳」の原型は、この「力を持たないものが正当化される奴隷道徳」です
自分の力で遊具を支配する力を持たず、弱さを武器にする K ちゃんが正当化される社会ですぞ~
でもやっぱり…
支配欲は「悪」だと感じるんだよね…
実は、ある意味、その通りなのです
Wish#1で遊具を支配しようとしていたSくんは、良くないです
なぜなら、
暴力的だからです
遊具を支配しようとしていたSくんは、欲望に満ち、悪いことをしているように感じられます
自分の支配欲をむき出しにし、独り占めしようとして怒鳴りつけるのですから、暴力的です
暴力は、良くないです
支配者に必要なもの
実は、支配者が支配する貴族社会が成立するために、支配者には「絶対に必要なもの」が2つあります
Sくんはまだ幼くて未熟だから、足りなかったんですね…
支配者に必要なもの… それは、
支配者に相応しい「徳」と「優秀な頭脳」
支配者になるべき人間は、
「自分が大人になった時に、支配者として人々と共同体をつくるためには『徳』が必要なんだ」
「多くの人を牽引し、尊敬されるための『思考力・判断力・表現力・知識』という『優秀な頭脳』を獲得する必要があるんだ」
ということを、
たくさんの経験を通して、子供時代のうちに自分の中に落とし込まなければならないのです
私には、Sくんは、「徳」を自分の血や骨や肉とし、思考力・判断力・表現力・知識を獲得するための「地頭の良さ」を持ち合わせているように見受けられました
私の肌感覚になりますが、支配者として運命づけられている人の多くは、生まれもって「地頭の良さ」を同時に保有しているように思います
「僕が使っているんだ!!」と、怒りの感情をそのまま表してしまうのは、「徳」がないからです
ニーチェの言葉にある、4つの徳「勇気」「洞察」「共感」「孤独」です
「勇気の徳」…挑戦をしたり、自分の意志を表したりする
(これは、すでに身に付いているようです)
「洞察の徳」…Kちゃんがどのような状況や心理状態で遊具を使おうとしていたのか見抜く
「共感の徳」…他人の迷惑になるかどうか、分からないこともあるよね、と共感する
「孤独の徳」…距離のパトスを保ち、低いものに引っ張られることなく孤独でいる
【Sくんは、孤独の徳を自分のものにしていないから、自分の内面を言葉で表現できない弱い奴隷と同じ低い位置(怒りによって威圧する状態)まで、自分が引き下げられています】
そして、貴族社会の中での支配者は、尊敬されるに値する「優秀な頭脳」(思考力・判断力・表現力・知識)が必須ですが、Sくんは、まだこの「優秀な頭脳」が備わっていませんでした
未熟なのが、子供です!
まっとうに成長して、「徳」と「優秀な頭脳」を自分のものにできたら…
Sくんはきっと、素晴らしい支配者になって社会の中で活躍するのではないかと、私は想像しています
暴力的なイメージ
S くんの例から、次のようなことを導くことがでます
「徳」を持たない人間が、感情のままに、暴力的に他人を支配しようとするから、支配は【悪】と感じられてしまう!!
「優秀な頭脳」を持たない人間が、思考せず、正しい判断力を持たず、怒りの感情を表し、自分の能力を知らずに、暴力的に他人を支配しようとするから、支配は【悪】と感じられてしまう!!
自分に力がないことを認識せず、「徳」と「優秀な頭脳」を持ち合わせていない S くんと同じように未熟な人物が、暴力的な支配者になっている
この2000年間の歴史を、私たちは学校で学んでいます
今の世界の中にも、支配者はたくさんいます
しかし、その2000年間の間に現れた「私たちが認識している支配者の姿」というのは、「力を持たない聖職者や奴隷、市民が支配者になっている姿」なのです
ニーチェは、歴史上の人物の中で、「自分の意志によって価値を作り出す存在」として、ナポレオンの姿を称賛しています
「徳」や「頭脳」を持ち合わせていないのに、聖職者や奴隷が暴力的に(強引に)支配者の座を保持しているから、暴力を連想させる「支配は悪である」というふうに感じているのです!!
約1万年前から、ルサンチマンと宗教の力が拡大した2000年前から、未熟な人間が支配者の座に君臨しているから、「支配は悪である」と私たちは感じているんです!
これが、「支配を認めない日本国憲法の精神」という偽物の岩盤をつくりだしたわけなのです
確かに、暴力は、悪 ですよ!!
だから、「支配 = 悪」という言葉のイメージが出来上がり、これも偽物の岩盤を作っているのです
『支配』という言葉そのものに、現代の私たちは、騙されちゃっているんです
『命令』という言葉も、威圧的な口調で暴力的に命令する奴隷が、支配者の立場に君臨しているから、「命令 = 悪」という言葉のイメージが出来上がり、偽物の岩盤を作っているのです
ルサンチマンと聖職者によって精神的な奴隷一揆が行われたことにより、価値が逆転させられました
力の弱いもの、能力がないものが「善」になっています
だから、「徳」と「優秀な頭脳」を持たない奴隷や聖職者が、支配者の立場にいて命令しているという現象が生じているのです
支配自体は、命令自体は、本来は【善】なのです!!
貴族社会では、
「徳」と「優秀な頭脳」を持ち合わせている「力のある人物」による【本物の支配】が【善】です
【暴力的な支配】=支配 だと、現代の私たちは、騙され続けているんです
【徳と頭脳による支配】 =支配 これが、本物の支配なのです
本物の支配者
分かりやすく、本物の支配者の例をあげます
箱根駅伝を見ていて、ギリシャ時代の姿を連想させる、素敵な貴族社会をみつけました💖
優秀な監督は、「徳」と「頭脳」があり、力を増大させようと自分自身も努力します
命令するに相応しい人物だから、人々から敬われ、人々を支配できます
自分は支配者として、人々に命令します
支配する側は、自分の意志に基づいて行動し、自分の理想を現実とすることに喜びを感じます
競争や勝利を楽しみ、これを罪悪感なしに行うことで、心の自由を保つ高貴な無邪気さがあります
「このチームを支配し、優勝したい!!」
自分の力を増大させ、人々が幸福になることを快感とし、自分の幸福を手にしています
支配する監督は、支配される人々の「力への意志」を奮起させる能力も持ち合わせています
支配される人々は「監督に従えば、監督を信じていれば、自分の力を最大限発揮できる!」と、支配者の命令に従い、自分の力を増大させようと努力します
「自分たちは快感を得られるはずだ」と、命令に従い、自分の力を増大させようと力への意志を奮起します
この共同体では、支配する人も支配される人も、自分の力を増大させようと、努力しています
支配する人は、「技術を伝えたい」「成長させたい」「優勝させたい」など、自分の欲を誠実に支配される人々に向けます
支配される人は、「速く走りたい」「認められたい」「優勝したい」「充実感を味わいたい」など、自分の欲を誠実に自分自身に向けます
個人が自分の役割を理解し、そこに誇りや充実感を見出す
「want」が自然な意志として表現され、力への意志が働くから、その共同体が発展するのです
支配者は、個人の価値を大事にし、1人1人に合った言葉かけをし、選抜されなかった人たちのことも思いやる「共感の徳」もしっかりと保有しています
「徳」と「頭脳」を持ち合わせているから、人々から尊敬される命令者として、多くの人を支配できるんですね
だから、つまり、原監督は【本物の支配者】です
支配者がもつ支配欲は、
個人が幸福感を味わうことができる多様性のある社会の中で、
「善」になるのです!!
支配とは…
1.ある地域や組織に勢力・権力を及ぼして、自分の意のままに動かせる状態に置くこと
2.ある要因が人や物事に影響を及ぼして、その考えや行動を束縛すること
3.仕事を配分したり、監督・指揮したりして、部下に仕事をさせること
(goo辞書より)
「支配」って言葉自体に、暴力的な意味はなさそうです😊
原監督は、権力を持ち、意のままに優勝へと導き、学生の考えや行動を正し、メンバーにそれぞれの役割を配分し、居場所を見出させていますよね…
辞書の意味を知ると、「支配欲を強くもつ、本物の支配者である」いうことが、さらにはっきりと言えそうです
それでも、やっぱり…
「支配欲は悪」 と感じますか?
日本国憲法の精神では、支配を認めないんです
つまり、
原監督、支配しちゃだめよ
ってことになちゃうんですね
偽物の岩盤の上の世界は、話の筋が通らない世界なのです
歪んだものになるんです
人間愛
民主主義は、正しい判断力をもたない多数の奴隷が集まり、「最大多数」が勝つことになるから、正しい道へと共同体が進めなくなるんですね
(私は、多くの人々が正しい判断力を持つことができるよう、1人1人に合った良質な教育をすることも大事だと思っているので、完全には民主主義を否定できません…)
平等は、高い価値をもつ人間を引き下げるので、共同体が発展しなくなります
平和というのは、緑の牧場でぴょんぴょんはねて、何もしていない状態ということです
【本物の支配者】が存在するギリシャ時代のような制度を、「寡頭制」と言います
個人の内面が、寡頭制のように、強い支配欲をもつ者を支配者として力への意志を増大させる生き方を、人々に伝えているわけなのです
個人の価値を大事にし、1人1人が幸福感を味わうことで、共同体を成長させていこう! ってニーチェは伝えてくれているんです
たくさんの人間のことを、遠くの人間のことを、目の前の人間のことを、過去の人間のことを、未来の人間のことを、心から愛している、人間への愛情が深すぎる人物なのです
人類が幸福と喜びに包まれることを、深く、強く、願っています
力への意志を持ち、岩盤を壊したら、 ♪ New World に近づけます
ONF のいる世界です
そこは、人類の幸福に満ちた魂とエネルギーが存在する、雄大な大地が広がっています
花崗岩でできた偉大な大地の上で、強く、みずみずしく、美しい自然に包まれながら、子供のように夢中になって 魂に響く音楽を奏でているのが、ONFです
ONFの音楽は、
人々の魂を震わせる、未来に語り継がれる崇高な芸術です
時代を超え、文化や言語を超え、心を繋ぐ力のある唯一無二の芸術です
深い洞察や哲学が込められている、深遠な芸術です
思考は…
さて…
私がここに書いている話、
内面の話と現実社会の話がごちゃ混ぜになっていることに気付きましたでしょうか?
結局、「個人の内面」が外に現れて、現実社会を作っているってことなのですね
内面の位相が、現実社会の位相を作るんです
「思考は現実化する」ってことですね
そういえば… ハンマー…
どうしました…????
使えましたか…????
内面の哲学者はニーチェの知識を得て、元気になったでしょうか?
「偽物の岩盤をハンマーで壊せ~!!」って正しい道を命令しましたか?
まだ哲学者が命令しないのであれば、私の文章力が足りないか、読んでくださる方自身がハンマーをもつ資格がなかったか…
どちらかですね~~
ニーチェは、本物ですから!!
内面にある、偽物の岩盤が壊されたのであれば…
さて、このあとどうなるでしょうか
内面が、現実社会を作るんです😊
支配は「善」でしたよね…
現実社会で、私たち FUSE の心を掴む支配者は、誰?
支配者は、何を意志しているの?
支配者は力への意志を、どこに向けている?
自分は、何に従えばいいの?
自分の力への意志は、どこに向けるの?
支配欲を奪い、自分たちの幸福を奪っているものは何?
ちゃんと支配者は意志していますけど~~~!!!
大きな声で、叫んでいますよね!!
聴こえていますか? 見えていますか ??
目を背けずに、現実としっかり向き合いましょう!
目を背けて現実逃避する人々とは、距離のパトスを保つんです!
「自分は緑の牧場でぴょんぴょんする人間ではない」と!!
自分は、ハンマーをもつ資格のある人間である!!
支配する側は、自分の欲を実現させようと力への意志を増大させ、幸福感を味わうことを望んでいます
支配される側は、支配者の意志に従うと、幸福感で満たされます
ハンマーで哲学してみよう😊
思考は、現実化します
01 はじめに…
02『読書について』
03『世界は「関係」でできている』
04 自由という恐怖—Wish#1の修正・追記—
05 自然!!—Wish#1の修正・追記—
06 支配者—Wish#1の修正・追記—
07 ハンマーで哲学する