MV 解釈(Love#1)の修正・追記
このページの修正・追記です
New World
「ファン ヒョン氏は、ポップス界の歴史上、最高の音楽家である」と、私は確信しているのです~♬
感性の豊かさ・鋭さ… 創作する作品のクオリティ… 知性…
この方は、ただものではありません!!
天才です!!
この表現は、奇跡的です!!
その天才のお眼鏡にかなう ONF のメンバーって…
超すごい、ってことじゃん~✨
聴けば聴くほど、ONF の歌唱力って、群を抜いている!!ってことを感じさせてくれます
感情の入り方や歌唱スキルが、違うんです
そして、「生まれつきもっているもの」にも恵まれているのだと思います
全員、声質が、魅力的~💗💗💗💗💗💗
しっかりと、個性が確立されています
そして、感性が豊かだから、様々な表現が可能なんですね~
これって、寛大で誠実な人達の声なんです
人柄が、声に表れます
ボーカルの美しさが感じられるように、きれいな聴こえ方をする音で表現しているファン ヒョン氏の力も合わさって…
相乗効果で美しく聴こえるんです~💞
ONF の音楽は、ただのヒップホップではありません!
この音楽から受け取る感動を、この天才性を、たくさんの人と一緒に喜び合えたら、私は嬉しいのです~😊
たくさんの FUSE の応援が ONF の力となって、ONF に美しい音楽を創り続けてもらいたいのです!!!
↑ここに♪ New World の解釈を書いているのですが…
♪ New World って…
ONF の凄さの象徴とも呼べる曲なのではないかと思います
この曲って、天才にしかできない表現が含まれています
「善」と「悪」
悪こそが正義なのか
この世界はゆがんでる
この歌詞の意味を理解するために…
そもそも、「善」「悪」の【考え方】について、私たちが理解しなくてはなりません
①普遍的な「善」が存在するという【考え方】
②認識によって異なる「善」が存在するという【考え方】
今、日本や韓国などで常識として存在している「善」は①です
いわゆる、親や先生から「刷り込まれる道徳」ですね
ルサンチマンに創造された価値が「普遍的な善」とされ、私たち日本人の意識の中に、常識として存在しています
ニーチェの思想は《バースペクティヴィズム》といって、多様性を認める②の考え方であり、私もこの考え方に納得しています
〔…〕本質的には、私たちの諸価値とは私たちの「情動」ないし「情念や欲求」の観点からなされた「解釈」なのだとニーチェは断言している。この点で、ニーチェはまたしてもショーペンハウアーに忠実に従っているように見える。ショーペンハウアーは善について以下の様に定義している。
要するに、私たちがまさにそうあってほしいと思うものすべてのものを、私たちは善と呼ぶのである。〔…〕反対の概念は〔…〕悪(bad)という語で表現され、ほんのときどき、抽象的に邪悪(evil)という語によって表現されるわけだが、それは従って、個々の場合の意志の努力にとって受け入れがたいすべてのものを表示しているのである。『意志と表象としての世界/ショーペンハウアー』
『生の肯定 ニーチェによるニヒリズムの克服/バーナード・レジンスター著』 P165より
つまり、「絶対的な価値」「普遍的な真理」は存在せず、真理は複数の視点(バースペクティヴ)によってつくられるものだというのが、ニーチェの思想です
私たちの心が、「善」を決める
望んでいるものが「善」であり、受け入れがたいものは「悪」
これが、ニーチェやショーペンハウアーの伝えている「善」「悪」の【考え方】なのですね
受け入れがたい「悪」が、当然のように常識として存在している社会が、私たちのいる日本という国なのです
自分で受け入れがたいと思いながら、それを守っている!!
受け入れがたいものが「悪」なのであるから、言い換えると…
悪を守って、苦しんでいる
また言い換えると…
自分の心に嘘をつくようにさせられている
歪んでいるということを理解するための前提として、ニヒリズムを受け入れることが必要です
すべての物自体に、価値も意味も無い(ニヒリズム)
自然は常に、価値を欠いています
「絶対的で普遍的な真理は存在しない」このことを私たちが理解しなくてはなりません
今の私の解釈は、ここ↑に書いてあることから少し変化しているんですけどね…💦
新しい知識を得ると、違う解釈ができるようになることが多々あります
ルサンチマンの道徳が「普遍的な道徳」として人々に浸透していった原因について、ニーチェはかなり深く掘り下げています
「信じているものが、そのような理由から広まっていった」という根源を読者に知ってもらうことによって、読者に「え~!自分が信じているものって、こんなのが根拠になっていたの~?」と、ハッとさせることを狙っているのだと思います
ニーチェの伝え方は、《哲学的》というより、むしろ《芸術的》と称されるほど、人の心に響く力強い文章になっています
他人の作ったの価値や意味、つまり、「高位タイプの人にとっての『悪』」に自分自身が従うものではない
「自分が高位タイプであれば」の話ですけど…
なぜなら、今の私たちの社会の中で「道徳」と呼ばれている常識は、ルサンチマン(弱い人が強い人を引きずり落とすために創造した価値)だからです
今、【客観的な善】とされているものは、ルサンチマンの道徳【①の考え方】です
【「普遍的な価値」「客観的な善」など存在しない】というのが、パースペクティブの【②の考え方】なのです
「ルール」というのが、
他人の作った価値や意味でできていないか
誰かを苦しめる「悪」になっていないか
考えることが必要ってことですぞ~
自分にとっての「善」を信じることですぞ~
ルールと名付けられた「自分にとっての悪」を守る生き方は、末人の生き方です
自分自身が自分の支配者であり、価値や意味は自分で創造するものである
創造するのが「超人」です!
Übermensch!
創造する生き方を伝えてくれているのが、ツァラトゥストラなのです!
言うまでもありませんが、♪My Genesis(Übermensch)は、格別に美しい ONF の楽曲の1つです
だから、ここにも書いているのですぞ~
『私の創世記』
世界は神や他人が作るものではなく、自分で創造するんです
私たち日本人の意識にある道徳(常識)は、「正しいと思い込んでいる」「苦しいのに守らされている」ものです
高位タイプの人にとっての、「悪」ですね~
有害です!
②の視点(パースペクティブ)の【考え方】でいくと、高位タイプの人の「悪」が『正しい道徳』になっているのであるから、今の日本や韓国に常識として存在している道徳というのは、歪んでいるのです!
高位タイプの人は、そのように解釈するのです!
私の解釈を読んでいただいたら、「ONF の心を想像しやすくなるんじゃないのかな~」なんて私は希望を持っています♬
もちろん、高位タイプの人に私は伝えようとしているんです~😊
不幸にならないため
We need to be happy
So need to change everything
あらゆる価値の価値転換(ニーチェ)
ということだと私は解釈します
パンドラの箱
私たち FUSE も光り輝き、ONF も光り輝く
一緒に意志を表すことができたら、過去は変わります
自分の内側に抑圧していたエネルギーを解放する
このエネルギーが、アンドロイドと生物とを区別する「力への意志」というものなのだと思います
私たちは生物ですから、「野性」ともよべる「力」が存在します
愛するということですね~💗
最近気づいたのですが…
「アンドロイドとして生きるか、人間として生きるか、葛藤する話」という ONF の世界観…
アンドロイドと人間を区別するものは、「力への意志」というものの有無なのかな~なんて解釈ができるようになりました😊
「力への意志」を ONF は『パンドラの箱=キューブ』で表していたのだと考えられます
「力への意志」は解釈が無数にあるけど、私の解釈は、生きる喜びへとつながる「野性」に近い「力への意志」です
「力への意志」は『抵抗の克服への意志』
〔…〕私がカントの議論から連想したのは「自分探し」です。 現在の自分は「ほんとうの私」ではない、どこかに眠っているはずの「ほんとうの私」と出会えれば、もっと生き生きと充実して生きられるはずだ——2000年前後の日本では、そんな若者たちの「自分探し」が話題となりましたが、じつはいまも、そんなふうに思っている若者はたくさんいるように思います。
でもなぜ、「ほんとうの私」が欲しくなるのでしょうか? 私が存在している理由、つまり「使命」が与えられれば、何を目指して生きればよいかわかる、と思えるからでしょう。私自身も若いとき、他者とどう関わり何を目指して生きていけばよいか、悩んでいました。そして哲学書のなかにその答えがあるのではないかと思っていました。
これについての私の結論はこうです。どこかに「ほんとうの私」を求めるのではなく、「どんなことに私は喜びを覚えるか」を自分に問い、そこから生きる方向をみつけていくしか答えはない、と。このことを示唆してくれたのは、カントより1世紀ほど後の哲学者フリードリヒ・ニーチェでした。
『NHK100分de名著 カント純粋理性批判 答えの出ない問いはどのように問われるべきか?/西研著』P96より
「その通りだ!こういうことをニーチェは伝えてくれているんだ!」と、言葉にしてくれていた部分をみつけたので、引用してみました(^^)/
目指す方向は、与えられるものではなく、自分でみつけていくもの
自分が存在している理由はない(ニヒリズム)
だから、自分で生きる方向を創造する
創造するのが、超人!
ニーチェに関する本を読んでいると、カントを敵視する文章がたくさん出てくるので、1冊だけカントにまつわる本を読んでみたのです
この本、とっても読みやすく分かりやすい文章で書かれていて、哲学全般についての知識がスーッと頭の中に入ってくる感覚があって、良本だと思います
この本を読んでいると、カントの思想に納得できる部分が、私にはたくさんあります
ニーチェにも納得できるし、カントにも納得できる、ということは、よく分かっていないからなのかもしれません( ;∀;)
宇宙の果てや神の存在などの究極真理への問いは、どんなに考えても答えは出ないとカントは主張し、「答えが出せない理由」を論じたことによって、カント以後、神の存在証明を試みる哲学者がほとんどいなくなったそうです
カントは、新しい風を吹き込んだのですね~😊
コペルニクス的転回
「コペルニクス」というのは、地動説を唱えた人です
従来の常識や視点を根本から転換し、物事の中心や基準を新たに置き直す革命的な変革
これを「コペルニクス的転回」といいます
カントは、認識において「コペルニクス的転回を行った」と言われています
【従来の見方(それまで信じられていたもの=天動説)】
私たちの認識は外界に対する受動的な反映である
従来の見方では、「客観的に存在するテーブルを、私が受け取っている」
【カントの見方(新しい認識=地動説)】
私たちの認識の構造が世界の経験の仕方を決定している
カントの見方では、「私がこれはテーブルだと思うから、ここにテーブルが存在する」
私たちは物自体を直接知覚することはできません
むしろ、私たちが経験する現象は、私たちの認識の構造によって形作られているのです
認識の主体(私たちの心や認識の枠組み)が世界の理解の中心に置かれることを意味しています
カントのコペルニクス的転回は、
客観的な真理は存在せず、世界は自分を中心に構築され、それぞれの解釈によって異なる理解がされている
という、ニーチェの思想につながるものなのだと思います
「自分が主人公になる」って言い換えられるのだと思っています😊
親や先生に刷り込まれたルサンチマンの道徳に従っている自分は、「客観的な真理」の存在を信じているということだね~
「日本のルールや道徳っておかしいよね~」と心で思っていても、現実世界で実際の自分が「自分にとっての『悪』を守ること」をしていれば、それは、客観的な真理の存在を信じ続けていることになります
自分は、ルサンチマンの道徳を選択して行為しているのです
「おかしいよね~」と思うということは…
高位タイプです!
この人たちの意識を変えようとしているのが、ニーチェなのですね~
「先生や親は、自分の経験から正しいことを伝えてくれているんだから、みんなで守ろうね」と思っている人の意識を変えようとはしていないのですね
そこにある「自分にとっての悪」でできたルールを守っていたら、コペルニクス的転回前の「古い考え方」に従って自分は行為しているってことなんですね~
自己理解が大事~!
カントやニーチェは、古い天動説が信じられているような社会の中で、「地動説っていうのがあるんですよ~!」と伝えているようなものなのです
多くの日本人は、親や先生に刷り込まれちゃったおかげで、「コペルニクス転回 前 の認識」に従って行為しています
え…?
ルサンチマンの道徳を信じてルールを守っている自分は…
天動説を信じているようなもの…ってこと???
カントやニーチェなどの哲学者の唱える思想が、日本に浸透していないんですね…😢
認識における「コペルニクス的転回」が行われていない
つまり…
地動説が、日本では常識になっていない!!
と同じようなことなのです!
高位タイプの人が、「自分にとっての『悪』」を選択し続けると、新しい世界に行けないのです (T_T)
コペルニクス的転回を行うのは、自分自身です
自分自身が、意識を変えることなんです
コペルニクス的転回というのは、自分にとっての『善』を自分が選択して行為することです
主人公たちが、高いパラレルワールドで待ってくれていますね~💗
『善』を選択する通路を通ると、ONF につながるんです~🥰
FUSE と ONF で新しい世界に行けるんです✨✨✨
アンドロイドとして生きる?(悪を選択して行為し続ける)
人間として生きる?(善を選択して行為する)
葛藤してたら…
ONF の作った世界に入っていますね~👍
カントの思想をニーチェが批判しているのは、カントの思想には「人生を楽しむこと」が足りていないからなのかな~なんて、今の私は解釈しています
アンドロイドとして生きることを選択し続けるのではなく、人間として生きることを選択する
私たち FUSE が ONF と同じパラレルワールドに移動することが、「パンドラの箱が開く」ということなのです!!!
声が届かない…
今の私の解釈…
もう、隕石は落ちました
要するに、私たちがまさにそうあってほしいと思うものすべてのものを、私たちは善と呼ぶのである。〔…〕反対の概念は〔…〕悪(bad)という語で表現され、ほんのときどき、抽象的に邪悪(evil)という語によって表現されるわけだが、それは従って、個々の場合の意志の努力にとって受け入れがたいすべてのものを表示しているのである。
意志の努力によって受け入れがたいもの
= 隕石
= 悪 いや… 邪悪!
それでも…
ONF のメッセージが、私たち FUSE に伝わることを信じていたら…
過去は変わるんです!!
1人1人、自分が主人公の世界に生きている
ニーチェが主張しているのは、道徳判断は私たちの「諸情動」の立場からなされるということである。道徳判断とは、明確に、世界に関してその立場からなされる「解釈」なのである。
…
諸々の価値判断に従うことがある種のタイプの生の「保存と成長」に有利に働くのは、こうした明らかな形においてだけではない。つまり、それらの判断が広く支持され観察されることによって作り出される道徳的風潮、とりわけ他者たちによって作り出されるその風潮もまた、そのタイプの個々人の保存と成長にとって本質的である。たとえば、「弱い」個々人は、慈愛が評価される道徳的風潮において栄えるだろう。それはまさしく、彼らが他者の慈愛から利益を得る立場にいるからである。したがって、価値判断は、「その判断の規則の成果」がある種の生理学的条件を表している諸個人にとって好ましい限り、その条件の「徴候」なのである。
…
〔…〕生理学的に弱い個人が同情は良いと主張するとき、実際には(これが自分のしていることに関するその人自身の理解では必ずないとしても)、同情深い世界がその人と同じ生理学的条件の諸個人の繁栄に好ましいという事実を指摘しているのである。そのため、ニーチェは自らの「洞察」を以下のようにまとめている。
「あらゆる価値評価は特定のバースペクティヴからなされている。すなわち、個人、共同体、人種、国家、教会、信仰、文化の保存というバースペクティヴである。」『力への意志/ニーチェ』
『生の肯定 ニーチェによるニヒリズムの克服/バーナード・レジンスター著』 P127・128より』
「普遍的な道徳」など存在しません
自分に刷り込まれた道徳が、今ここに常識として存在している「道徳」が、「普遍的な道徳」だと思い込んでいます
ある特定の解釈が、「誰にでもあてはまる、普遍的な道徳である」と思い込んでいるだけなのです
普遍的な道徳など存在しないのに、それがあるかのように信じているだけです
ニーチェのバースペクティヴの立場から考えると、奴隷道徳は「有害」です
弱い人々のバースペクティヴの立場から考えると、奴隷道徳は「有利」なのです
強い人々は、個人の価値が独立しています
「力への意志」が、自分自身の能力を発揮することへと向かっています
弱い人々は、「我こそが道徳であり、我以外に道徳はない」と、他人に我の価値を押し付けて従わせ、個人の価値が独立していません
「力への意志」が、他人を従わせることに向かっています
「奴隷道徳」って、なるほど~と思える名付け方です
他人を「自分の道徳判断」に巻き込み、奴隷にしようとするのですから!
主人たちを従わせることができる「奴隷道徳」を常識にしておくことによって、奴隷である自分たちの価値判断が優位であると感じられるのですね
強い・弱い、善・悪、高位タイプ・低位タイプ、という言葉自体も、ニーチェのパースペクティブ(視点・観点)です
こういう言葉を使うことが、ニーチェの著作から気迫を感じられる要因の1つなのかもしれないですね…
自分で選択する
私は、「考えること」によって、新しい人類の世界ができると考えていたけど…
今、これはちょっと違うかな~と考えています
「考えること」というより、
知性を利用することによって、抵抗を克服しようとする努力を成功させようとする
1人1人がそういう生き方を自分で選択することで、新しい人類の世界ができていくのかな~、と今は思います!
知性に頼ってしまい、生物の自然な野性を認めようとしないと…
これもまたアンドロイドになってしまうような気が…
私たちは動物であるのだから、野心(望み)があります
私の解釈を通して…
私が言っているのは、「私の解釈を信じて」ということではなく、「私の解釈を通して」です
このブログに書いていることは、「解釈の1つ」であるからです
私の解釈を鏡にして、「じゃあ、自分はどうなのか」という、「自分自身を知ること」「自分と向き合うこと」で、自分の考え方を作っていくことが大切だということです
自分は、ONF の真心をどのように想像しているのか
自分は、どのように ONF の表現を解釈しているのか
というのを知ることが必要だと思っているのです😊
自分を主人公(主語)にして、考え方を作ることが大切だと私は思っているのです
もちろん…
私の解釈を参考にしていただけたら嬉しいと思っています!
「なるほど~!」と思ってもらえたら、私は「書いてよかった~💗嬉しい~!」と思います😊
反対に「違うと思うけど~」と思うのであれば、その理由を知りたいとは思っていますが…
知る術がない…
カタカナのIT用語は宇宙語です(断定)
相変わらず、私に感想を言ってくれる人は1人もいない状態…
黙々と書いているのです…
家族は(夫も)私のブログに興味が無いから読まないし…
親にも友達にも、私がブログを書いているなんて言ってないし…
いずれにしても、感情的に怒られたり、残酷な言葉で言われたりするのは超苦手で大嫌いだから、冷静に論理的かつ寛容で温かい言葉に変換して伝えてくれるものでないと、私は逃避します…笑
私は、無鉄砲な部分もありますが、その割に、かなり心配性でもあるのです…
「ONF の素晴らしさを伝えたい」という衝動が、「目立ちたくない」という対立する衝動を抑え込んじゃったんです…
前者の勝ち~!ということです
「目立ちたくない」って結構強めの衝動なのに、ONF の美しさは私の心をグワーンと思いっきり動かしたんですね!
人の心を動かすのが『芸術』
ONF が、他とは一線を画す、格別な美しさを表現しているから、私はブログを書きたいと思っているのです💗
好きすぎるのだ~!!
止まらないのだ~!!
「好きが止まらない!!!」って思いは…
このブログを読んでくださる FUSE の方に共感していただけるんじゃないのかな~と思います💗
だって、ONF って、溢れんばかりの魅力でいっぱいの、最高に素晴らしいアーティストですものね~♬
意識が変わると…
素粒子は17種類あることが分かっていて、大きく分けると「物質をつくる素粒子」(フェルミ粒子)と「エネルギー的な素粒子」(ボース粒子)の2種類です。電子や原子核の中にあるアップクォークやダウンクォークは「物質をつくる素粒子」。
いっぽう、「エネルギー的な素粒子」にはフォトン(光子)などがあります。
フォトンは「光の素」ですが、このフォトンが、やはりここでも‶主役〟になります。
〔…〕私たちの意識や感情の正体はフォトンです。
体も物質も、さらには起こる出来事も、すべてはフォトンの影響を色濃くうけています。というより、フォトンこそがこの世のすべての現象を生み出す‶カギ〟と言えるのです。
『最新理論を人生に活かす量子力学的実践術/村松大輔著』 P21より
村松さんの本は、普段、読書に親しんでいない方でも、サラッと短時間で読めると思います😊(私は4冊読みました)
要するに、今起こっている現象は、私たちが意志するから起こっているのであって、私たちの意識が、周りに波を作っているんです
意識を変えれば、波はすぐに変わります
だから、意志することによって、自分から飛び出すフォトンが変わって、自分の周波数が変わります
私たち FUSE の意識が変わったら…
ONF と同じパラレルワールドに行ける!!
今の私たちは…
自分の真心を隠して仮面をかぶっています
ONF と同じパラレルワールドというのは…
自分の真心に従う、という意識です
「量子力学を応用すれば、奇跡が起こせる」と言われているそうです
素粒子の不思議な性質によるものだそうです
素粒子は「見ていないと消える」とか「観測すると現れる」など、こちらの意図を察知するような動きをします。
また、素粒子には時間が存在しません。
私たちの世界では「過去→現在→未来」と時間は連続していますが、素粒子の場合は「過去と未来に同時に表れる」ということも起こるのです。
さらに、素粒子は変身もします。
粒だった素粒子が波になったり、粒に戻ったりします。本当は粒ではないのですが、〔…〕。
『最新理論を人生に活かす量子力学的実践術/村松大輔著』 P20より
意識が変われば…
現象が変わるんです!!
01 はじめに…
02 MV 解釈(Love#1)の修正・追記
03 MV 解釈(Love#2)の修正・追記【パラレルワールド】
04 MV 解釈(Love#3)の修正・追記【♪Why MV 解釈】
05 MV 解釈(Love#4)の修正・追記