意志する

【2024.10.26更新】

1 A と B

ある日、B(我が子)は学校から帰宅するとすぐに、靴を脱ぎながら心の内を吐き出しました

「授業で『制服を着ることの意味は何か、自分の考えを書きましょう』って書くように言われたから、適当に書いて出したよ… 制服なんて苦しいだけで自分には意味がないと思っているのに、そういうことを書いたら先生の求めているものと違っているから、思ってもいないことを書いた」

自分の真心ではなく、きれいごとをプリントに書いているんです

もし自分の子供がこういうことを言ったら、このブログを読んでくださっている方は、どのように感じられるでしょうか?

A(我が子)は、周りの親から「素直で優しくて頑張り屋さんで、うちの子もよく褒めていてるよ~」などとよく言われます
先生にも「私が誇れる生徒の一人です」と言われるような子です
大人や友達の思いを受け止め、学校で波風立てずに穏やかにすごすことができます
家庭でも穏やかです
友達や先生や家族の心も想像しているし、思いやりがあると思います
学校での不満を私に言うことは全くありません
私は、学校での出来事やシステムについて何度か話題にしたり、辛いことや困っていることがないか時々聞いたりしているのですが、
「考え方が自分と違うけど、先生たちもそれぞれの考え方で一生懸命やってくれているし、まあ、そういうものかな~と思ってるよ」「学校は楽しい~!」というようなことを A は言っています

B(我が子)は、周りの親や先生から褒められることは少ないです
家族や気の置けない友達の前では、ユーモアセンスが光る会話をし、明るく楽しい雰囲気を作ります
ただ、内弁慶で、外ではまだ自分に自信が持てず、自分らしくふるまうことができていません
学校での出来事やシステムについて不満に思うことを、家の中で吐露することが時々あります
「友達は何か言ってるの?先生に伝えてみたら?」と私が言うと、「気心の知れた友達何人かとは『おかしいよね』って一緒に話すけど、自分の考えを言うと変だと思われるから、他の人や先生には言えない」というようなことを B は言っています

は、部活動の交流練習の際に、上から目線で子供を大声で怒鳴って指導をしている他校の先生を問題視していたことがありました
「言ったことを理解できねえから、おまえらは成績が悪いんだ!」というような内容もあったみたいです
「その学校の子供たち、顔がこわばっていたし、先生が怒鳴ると空気が凍りつくし、自分たちもすごく嫌な気分になって友達と顔を見合わせちゃったよ。普段から威圧的な態度の先生のもとで、部活動をするその学校の子供たちのことを思うと、辛すぎる。これからも一緒に練習をする学校だし、一緒に楽しく練習ができないのは、自分たちだって楽しくない。これをやめさせるために先生を指導する立場の人にこのことが伝わるようにしてほしい。」と私に訴えてきました
さらに「こういう先生は、自分のことを悪いと認めないだろうから、自分の学校の生徒の親から言われたと知ったら、さらに態度が悪くなるかもしれない。自分の学校の親じゃなくて、他の学校の親から言われた、という方が、子供自身に被害が及ばなくなると思う。この内容を伝えたら、一緒に練習している学校の生徒が言ってきたな、ということは分かっちゃうから、他の学校の先生や生徒もやりにくくなっちゃうかもしれないけどね。」と言っていました

この話を聞いていた我が子 A も、これと似たような場面を経験したことがあったようです
「先生は、子供のことを成長させたいと思ってイライラしちゃったのだと思うし、先生と子供の間には、他の学校の人たちには分からない信頼関係があるかもしれないよ。」と A は言います

A が私のイライラや失敗に寛容なのは、こういう考え方をしているからなのです
その場を平和的に解決するためには、聞き流すことが必要だと考えているのだと思います
私がイライラをぶつけても、A は聞き流しているので、私はすぐにイライラがおさまります
私は、冷静になると謝罪する気持ちが生まれ、後で素直に謝ります
A は、「いや、自分に悪かったところがあるから」と、私をフォローしてくれます

B は、私のイライラに寛容ではないのです
納得のいかないことは、納得がいかないと私に訴えます
だから、私と口論のようになることもあります
私がイライラをぶつけると、B が言い返してくるので、「感謝の気持ちがなさすぎる!」などと私は言って、イライラする時間が長くなります
私は、冷静になると謝罪する気持ちが生まれるのだけど、ひどいことを言い続けてしまったので、素直に謝りにくくなります
B は、A と同じように私をフォローしてくれることもありますが、「前にも同じようなことあったよね…」と、事実を言うこともあります

おそらく、これを読んでいただいて、

A がいい子だと感じられる方が多いのだと思います

B が面倒な子だと感じられる方が多いのだと思います

イライラした私の状態…

これが、【違いを認めていない】という状態です

子供の考え方が自分と違っているのに、私の考えているように子供が行動してくれないから、私はイライラしています

私が、新しい脳みそを使っていないんです

新しい脳みそには、人間らしくより良く生きていくために大事な機能があるのに、それを使わず、古い脳みそをコントロール(アンガーマネジメント)していないのです

人間らしい脳を使わず、動物の脳がむき出しになって、動物のように子供を支配しようとしています

子供に「自分で考えて行動する」ということをさせないようにしようとしているのです

私は、新しい脳みそにある「言葉で筋道を立てて話す」ということをせずに、動物と同じ状態になって、怒りによって子供を支配しようとしています

「部屋が散らかってるから片付けてよ~!いつも同じこと言われているんだから、言われる前にやってよ~!」と、イライラして行動を指示している私は、支配者です

私は、部活の先生と同じような状態になっているんですね

自分の思うようにならないから、怒りを子供にぶつけています

支配者は自己理解ができていません

自分もいつも同じ場所に塚を作っていて、同じことを言われ、言われる前に片付けていないのです

「どの口が言う?」とツッコミどころがあるのが、支配者なのです

言っていることがメチャクチャなのです

「自分で考えて行動する」という自主自律の人間を育てようとするのであれば、「今、部屋が汚いと思うんだけど、あなたはどう思う?どうする?いつまでに?」など聞いて、自分の考えを言わせ、責任を持たせて自分の言ったことを行動にうつすようにさせればよいのです
もし親が納得できないことであれば、親の考えを伝えます
自分が言っていることとやっていることが同じになるように、子供に責任を持たせます
その行動ができていなかった時には、「自分で決めたことだよね」と言えばいいのです

↑これを読んでいると、突き放しているように感じられるかもしれないですね
そうじゃなくて…
親が「一緒に片付けようね」と、寄り添うことも大事なのだと思います
「自分も一緒だよ。ここを快適に、ときめく場所にしたいと思っているんだよ。だから、あなたの力が必要なんだよ。」というような、良くなりたいと願う真心が伝わることが大事なのかな~なんて思います

『「片付けなさい」というのは、アンドロイドの指令』
『「一緒に片付けよう」というのは、幸せになりたいと願う人間の優しさ』

ということなのだと思います。

一緒に

深い言葉ですね・・・

支配者が存在すると、子供は、自分の行動に責任を持たなくなります

その行動ができなかったときは、責任は他人にあるので、「自分にはこういう理由があってそれができないのに!」という不満を持つ子供になり、自分がその行動をしないことを他人のせいにします

自分軸ではなく、他人軸になるのです

自分の行動に責任を持たせないから、子供から自由を奪うから、言っていることとやっていることが違う、話の筋を通せない支配者を生み出し続けてしまうのです

幸せを手に入れることができるのは、A と B 、どちらか

このことを考える必要があります

当たり前を疑うことです

私たちは人間だから、新しい脳みそを使って、考えるんです

考える脳みそがあるのが、人間だからです

新しい脳みそは、努力することで、一生進化し続けることができます

努力と言うのは、「学ぶこと」です

新しい知識を得ることです

新しいシステムを知ることです

愛するものに出会い、知りたいと思い、知識を得て、考え、想像します

そして、結局は、そのものと自分とを向き合わせて鏡となり、自分自身を知ることになります

つまり、愛するものをみつけ、人間とは何か、自分とは何か、ということを、探し続けることなんです